Sun Set Days
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| 2002年06月10日(月) |
『アイ・アム・サム』+Shopping Day!! |
今日は休日で夏のボーナス日で、携帯を換えに行く。 前回書いたように、504であればとりあえずいいかなという感じで。 けれども、ドコモショップではじめてP504を見てその考えが変わってしまう。 薄いし、ワンタッチで開くんだ……と結構気に入ってしまったのだ。 すべてが折りたたみになった504シリーズの中で、どう見ても一番薄いし、折り返しの軸のところについている銀色のボタンを押すと、パカッと本体が開くのだ。こういうワンタッチの折りたたみ型って、いままでありそうでなくて、それが新鮮だったのだ。 けれども、欲しい色のシルバーはもうすでに完売で、他にもヨドバシカメラや家電量販店を回ってみたのだけれど、どこも売っていなかった。 それで携帯は今日機種変更するのは諦める。
それから、今日のメインでもあった『アイ・アム・サム』を観に行く。 最近のDaysを見てもわかるように、はじまる前から、かなり期待をしていた一本。 平日の午後一発目ということを差し引いても、劇場の入りは40%くらい。 どちらかと言うと、年齢層は高め。主婦の友人同士といった風な人たちが多い。まあ、平日の午後はそういう傾向を示すものなのだろうし、親子物なのだ。やっぱり、「親」たちが観に行きたくなるのはわかるような気がする。 ストーリーは、パンフレットから抜粋すると、
7歳の知能しかもっていない父親、サム。コーヒーショップで働きながら、たった一人で娘のルーシーを育てている。楽しい仲間に囲まれて、幸福な日々を送っていたが、ルーシーが7歳を迎えると、サムは父親としての能力に欠けると判断され、ソーシャル・ワーカーによってルーシーを奪われてしまう。かけがえのないルーシーを失ったサムは、敏腕女性弁護士とともに、裁判に出ることを決意する。自分が、父親としての能力を十分持っていることを証明するために、そして、ルーシーとまた楽しく暮らすために――。
この映画のことをはじめて知ったのは、渋谷TSUTAYAの地下1階にあるCDストアで、サウンドトラック売り場のエンド(売り場の主な通路に面している目立つ部分)に展開されているのを見たときだった。ショーン・ペンと見知らぬ印象的な子役がブランコに乗っているあのいまでは有名な写真のポスターなんかがあって、「?」って思った。小さなチラシのようなものがあって、それでその映画が上記のようなストーリーの映画で、全編にわたってビートルズをフィーチャーしているのだということを知った。 CDはそのときには買わなかったのだけれど、映画は絶対に観ようとそのときには決めていて、そして映画がおもしろかったらサウンドトラックも買おうと決めていた。そんなふうに個人的に小さなかけというか、○○だったら○○するみたいな決まりを作ることは誰でもやることだと思う。僕の場合もそうというわけで、それからは引き出しの奥に隠してとっておいた特別なお菓子みたいに、ちょっとした楽しみになっていた。
最初に言うと、映画の途中で5回くらい泣いた。もちろん、涙がこぼれて声を上げてというのではなく、じわっときて、目頭が湿るというくらい。ただ、その内で2回ほどは本当に泣いてしまった。なんていうことのないシーンなのに、なんていうことのないサムとルーシーが一緒にいるだけのシーンなのに。 パンフレットを見ると、この作品を創り上げるために、製作陣は知的障害のある親たちの施設を調べ、脚本にリアリティを付与することになったということが書かれている。確かにその通りだと思うし、実際ロサンゼルスでのオール・ロケにこだわったことも相まって、現実的な物語になっているとは思う。 それでも、この映画はある種のファンタジーだと思う。最初のサムと赤ん坊のルーシーのシーンからすぐそう思ったし、観終わった後にもそう思う。 何物にも換え難い、愛情で結ばれた親と子についての、ある種のファンタジー。
物語は、過度にドラマチックに進むわけではないし、過度に感傷的なわけでもない。ただ、ときおり挿入されるサムとルーシーのシーンが、もうどうしようもないくらいに純度が高くて、一気に感情的にさせられてしまう。2人が画面にいるだけで、2人が抱き合ったり微笑みあったり、一緒に遊んでいたりするだけで、ああもうこの映画は本当に観るべきだったって、観てよかったって思った。 感傷的過ぎる書き方だけれど。
ルーシー役の子役、ドコタ・ファニングは本当にぴったりだと思う。やっぱり、パンフレットから抜粋すると、
「ダコタ・ファニングを見つけることが出来たのは、本当に幸運でした。彼女には天才的な演技力があり、あの年齢では普通ありえないほどの、本物の力と知恵を持っているのです。」
本当に、そんな感じだった。子役のすごい少女と言えば『レオン』のナタリー・ポートマンを思い出すけれど、そのときに似た衝撃を受けた。ルーシーとサムがベッドで一緒に眠っているとき(サムが絵本を読んであげたりする)、ルーシーの方が母親であるみたいに大人びている。7歳の少女なのに。 ショーン・ペンの演技については、もう書くまでもないという感じだ。すごいし、深いのだろうし、サムが実在する人物なんだっていうことを、疑うことができないくらい。 射抜かれてしまうということを、久しぶりに思い出すことができた。
個人的には、終盤が唐突だったというか、もうこれで終わりなの? と思ったのだけれど、それでも、いま思い返してみると不思議とそういうのが全然気にならない。サムとルーシーの一緒にいるシーンのひとつひとつを、刻み付けるように見ることができればそれでいいのだと思う。 よかった。 ある意味感動作品のある種のパターンのようなもの、枠の中に入っているのかもしれないけれど、感動作もお涙頂戴のストーリーも全然OKだ。 カテゴライズがどのようなものであろうと、ようは自分がどんなふうに感情を動かされたか、ということがより大事なことであるわけだし。 本当によかった。 とても。
PS:『アイ・アム・サム』のサウンドトラックを購入したことは、言わずもがななのです。
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その後はかなり久しぶりの買物三昧になった。 本当に、かなりたくさん買った。
・スーツ2着(ツープライスストアで)とネクタイ。 ・私服のボタンダウンシャツやサマーニットやTシャツやチノパン(いくつかの店で、いくつか) ・CD2枚(『アイ・アム・サム』と天野月子という人の1stアルバム『Sharon Stones』。知らない人だったのだけれど、試聴してよかったので) ・ウエストバック
今日の買物の中で、個人的な一番のヒットはウエストバック。 前からずっとウエストバックが欲しくて、密かに探していたのだ。でも、よくあるナイロンのストリート風のやつではなくて、シンプルな感じのやつを。でも「これだ」っていうのになかなか出会うことができなくて。 そして、ようやく見つけたのだ。 結局、アニエスで買った。 最初、濃いグレーの布地のシンプルなやつが売り場にあって、それをいいかもーと見ていたら、店員さんが「他の色もあるんですよ」とカーキ色のものを出してくれた。 それが、もろにツボだったのだ。 値段はウエストバック相場(?)からすると高めだったのだけれど、ずっと欲しかったようなやつだったし、頑張っているしと、自分を無理矢理納得させて自分へのごほうび的に購入。これで手ぶらで気楽にデジタルカメラを入れて散歩もできるし、自由度が高い感じだ。
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そして、PICNICAさんが書いて頼んで読ませてもらった小説『浮き雲』を読み終える。 内容は、ここでは記さないけれど、今日はおもしろい物語にふれる日だと思いながら、読書感想文を書く。 物語に周波数のようなものがあるのであれば、個人的に好きないくつかの周波数のうちのひとつを確実についてくるような、好きなトーンの短編だった。 おもしろくかつ、よかったのでした。
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お知らせ
明日は、また大阪です(いやいや、本当に何度目でしょう?)。
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