「心にナイフをしのばせて」
1969年春に横浜の高校で起きた、同級生による殺害・首切り事件。被害者の家族の視点から描いたノンフィクションである。被害者の母は事件後寝たきりになり記憶も失い、妹も人格が変わり、父はじっと一人で耐えた。加害者は少年に入った後は少年法に守られてその後を追うことが難しかったが、著者により、少年院を退院した後大学に入り、現在は弁護士として活躍されていることが判明する。
最後まで一気に読んでしまったが、本当に事実とは奇なるものだと感じた。加害者家族は被害者家族に賠償金も払わず、加害者本人も払う気がなさそうだった。
「更生」とはなんなのだろうかと思う。少年法の理念に照らせば、この加害者は見事に更生した例になるだろう。だがなんだろうこの割り切れなさは。この本を読んだ多くの人もこの割り切れなさを抱えざるを得なかったようで、amazonのレビューにはいろんな意見が書かれている。
では、どうすればよかったのか? 少年院を退院した後はそれこそひっそりと世間の片隅で出家でもして生きていればいいのか。
もしくは、罪に見合った刑罰がなされていないからか。懲役15年くらって出た後に弁護士になれば誰も文句言わないのか?
いろいろ考えているが、まったく答えが出ない。
「A3」
ようやく読み終えた。読む前と後で、かなり教祖に対する意識が変わってしまった。それまでは「教祖の皮をかぶった俗物」と考えていたが、そんな単純な人物ではなかったようだ。
かくれんBOXにお湯入れて 3分たったらはい出来上がり 私はケッサク宗教家 メロンが大好き教祖様
てめえが学生の時に作った恥ずかしい曲である。歌い出しだけ覚えていてあとは忘れてしまったが、正直上記のような認識だったわけだ。
裁判の様子を新聞で読んでいても、とてもじゃないが最終解脱者とは思えないものだった。そもそも第6サティアンの隠れ部屋に隠れていただけでも解脱者ではないとわかるわけだ。ただしこれらの報道はどこまで正しいのだろうかとふと思う。
彼は監獄の中で本当に最終解脱してしまったのかもしれない。解脱するということは、この俗なる世界からアナザーワールドに導かれることだと勝手に解釈しているだが、まさしく彼はアナザーワールドの住人になってしまった。概して宗教家とはそんなものかもしれんが。彼とか彼とかも、現代社会に生きていれば間違いなく統合失調症と診断され治療されていただろうし、治療されていたら宗教家ではなかったはずだ。
もう少しまじめな話をしてみよう。医学的には、明らかに放置していけない病態ではないだろうかと思う。鑑定を行った医師はクズである。最終的には吊るされることになるのだろうが、それまでのプロセスはどうでもいいのか。
奇しくもマンジュシュリー・ミトラ村井氏を殺害した徐氏のブログでは、拘禁反応ではないかと書かれていた。きっと通ってきたものにしかわからないものがあるのだろう。
いろいろ思ったことがあるが、全くまとめられず今日はこの辺で。
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