解放区

2011年12月01日(木) 父と受診する

父の受診日だったので、一日仕事を休むことにした。

受診時間は午後、昼からなので本当なら午前中は仕事に行き、午後から休みをもらってデイケアに父を迎えに行き、そのまま受診してもよかったのだが、面倒なのだ。であれば父も一日休みにしてしまえばヘルパーさんもこの日は休みになるし、デイケアの送迎も必要ない。父には起きるまで眠ってもらい、朝食を食べた後自室でゆっくりしてもらい、昼から一緒に出かければよい。てめえの職場には迷惑がかかるが有給休暇なのでてめえの権利でもあるし、受診日はいつも休みをもらっている。


朝。ヘルパーさんも来ず、父も起きてこず、てめえもゆっくりできた。9時くらいに朝食を運ぶ。食べた後に外に出ようとしている音が聞こえたので玄関に向かうと、一式用意を済ませて出かけようとする父がいた。どこへ行くの、と聞くと、いつものところや、と言う。デイケア、とか、場所とかそういうのも覚えられないようだ。今日は病院の受診なので休みですよと言うと、そうかと小さくつぶやいて自室に戻った。

ちなみに、てめえの家は彼がひとりで外出できないようにバリアを設けている。家の四方は隣家に囲まれており、出入り口には2mを超える門扉を付けた。ので、彼が脱出するには隣家の壁を乗り越え屋根伝いに行くか、門扉を超人的なジャンプを行い飛び越えるしかない。前に立つ家の中を通り抜けるという手もあるが、さらに困難である。

昼前に支度をして出かけた。彼は障害者1級を二つ所持しているのでバスが乗り放題である。付き添いも無料。なのでバスで移動する。

バス停まで野郎二人で並んで歩く。目を離すと違うところに行ったり、通行人に飛びついたりするのだ。一昔前なら間違いなく彼は閉鎖病棟の中だろう。ていうか昨年は閉鎖病棟の中だった。

こういった人を外に出すことは、家族の熱意だけでは不可能である。日中を見てくれる施設があり、通所を支えてくれる介護者がおり、その他のサービスを提供してくれる人々や制度がないと難しい。一昔前はそれがなかったわけで、選択肢としては座敷牢か閉鎖病棟(どちらも同じようなものだが)しかなかった。父はありがたいことにすべてを満たして今家にいるわけだ。

バス停に着く。周りの人から2,3mは離れてバスを待つ。気がつくと人々のほうにじりじりと近付いていたりするので油断ならない。そんな時は腕を引っ張ると素直にこちらに戻ってくる。

実際のところ、こういう人の移動はバスは危険である。中は密室だし、なにかあると大変なので、ヘルパーさんなどは決してバスを使わない。てめえだけだ。なんでそんな危険を知りながらそんなことしているのかと言えば、そういった状況を経験させておきたいし、てめえも経験しておきたいからだ。危険だからと言ってすべてを行わなければ、結局何もできなくなる。もしかしたらバスの中ではおとなしいかもしれない。実際バスの中では彼はおとなしく車窓の風景を眺めていた。

病院の近くにある台湾料理の店で昼食をとる。最初この提案をしたときは父はかなり乗り気だったが、着くころにはそんなことも忘れていた。

父は焼き豚、てめえは野菜とイカの炒め物を注文した。ランチはこの日はこの2種類のみだった。他にごはん、冬瓜のスープ、バンバンジー、ザーサイの炒め物と杏仁豆腐と熱いジャスミンティーが付いて一人800円。ご飯とスープはおかわり可だった。父が焼き豚を選択したのでてめえは違う方にしたのだが、正直焼き豚のほうがよかった気がする。

食事を終えて病院へ。この日は特別混雑していて、診察まで2時間半待った。父には「待つ」という言葉がないので落ち着かず、椅子から立ち上がったり突然どこかへ行こうとしたり、かと思えば隣に座る人にじりじりと近付いたりして困った。他の人が呼ばれるたびに診察室に突入しようとするので、廊下の端の誰もいないところまで移動しずっと父の腕を握っていた。ようやく観念しておとなしくなったかと思ったら、またもぞもぞと動き出す。

ようやく名前を呼ばれ、診察室に入ったが、椅子に座った途端に立ち上がり「はい、ありがとうございました!」と帰ろうとする。まだ診察始まってませんよ。

帰りもバス。バスの中ではおとなしく車窓の風景を眺めていた。

家から少し離れたバス停で降り、彼の気分転換も兼ねて少しだけ散歩して帰った。帰ると夜だった。いやー疲れた。


 < 過去  INDEX  未来 >


い・よんひー [MAIL]

My追加