てめえの願いは、てめえが死んだあと「あの人はおいしいものが好きな人だったねぇ」と懐かしがられることだ。自分を形容されるならば、美味しいものが好きな人、と言われたい。
昨日はカレイの切れ端がいっぱい入ったものが100円で売られていたので、それを購入し煮付けて夕食にした。それと、たくさん作り置きして冷蔵庫にしまってある「さつまいものレモン煮」と、アーサと油揚げの味噌汁。煮魚なんて、京都に帰ってくるまでほとんど作ったことはなかった。和食を多く作るようになったのは、明らかにこの土地の影響だ。京野菜をはじめとして、売っているものそれぞれが最もおいしく食べられる調理法を考えると、和食の手法が一番しっくりくるのだ。
料理した後に残る野菜の切れ端は、冷蔵庫の野菜室の中にある袋に入れておき、ある程度たまったら片っ端からみじん切りにして塩と酒で処理し、ひき肉で炒める。以前は甜麺醤(+豆板醤)で味付けしていたが、いろいろわけがあり甜麺醤が使えなくなったので、代わりに赤味噌をみりんで溶いたものを使って炒めている。野菜の下処理に使う酒も日本酒を使っているので、こっちの方がしっくりくる気がする。さらに醤油を入れたり、豆豉を刻んで加えたりする。具も、しょうが醤油をつくるときにできるしょうがの醤油漬けとかなんでも入れる。大根の皮や葉やニンジンの皮や玉ねぎや白菜やキャベツの芯などもとっておき、みじん切りにする。ごはんのよい友になるだけではなく、余れば弁当にできる。元は「泡菜肉末」といって、陳健一の本で知った。こういった始末の仕方を知っているといろいろ便利だ。
赤味噌は、御所近くにある本田味噌のものを使用している。いろいろ試したがここの味噌が一番美味い。明治天皇が東京に引越するまで、皇室や御所付近に住んでいた公家たちは、ここの味噌を愛用していた。いわゆる「禁裏御所御用達」である。値段はそれなりだが、こういった基本調味料を奢っておくと、肉や野菜が安いものでもそれなりの味になる。なんといっても毎日飲む味噌汁が美味いことが一番である。
天皇が東京に引っ越した時、皇室や公家に物を納めていたところは、そのまま京都に残ったものと、お得意先と一緒に東京に移ったところに分かれた。本田味噌は前者なわけで、後者は「とらや」など和菓子の店が多かったようだ。移った和菓子の店は得意先がほとんど皇室や公家だったのだろう。茶の「千家」は3つとも京都に残った。和菓子の店も、京都に残ったところもある。そういった店は、皇室や公家と疎遠になっても商売できる自信があったのだろうと思う。
松風で有名な「松屋常磐」も、御所近くに今でも店を構えているが、京都に残った店である。向田邦子もここの松風が大好きだったようで、てめえ愛用の料理本「向田邦子の手料理」にも出てくる。が、てめえは大徳寺納豆の入った松屋藤兵衛の松風が好きだ。ここは大徳寺の近くなので、皇室の需要はあまりなかったと思われ、今も変わらず営業を続けており、地元の人々を中心に愛され続けている。
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