解放区

2011年10月22日(土) 東京の街に出てきました。相変わらずわけのわからないことを言ってます。

友人に年に一回の再会をするため、今年も出かけることにした。

京都に帰ってきたころには、近くなったので年に数回は再会しに行こうと思っていたのに、南の島に住んでいたころと同じく年に1回しか足を運べていない。大変申し訳ない。

今年は予算も厳しくなってきたので、夜行バスで出かけた。誰にも気兼ねなくリクライニングしてやろうと最後列の席を予約したのだが、てめえの思いとは逆に最後列はほとんどリクライニングしなかった。おかげで少しまどろんだところでケツの痛みに覚醒し、を繰り返し、結局東京に着くまでほとんど眠れなかった。


東京は雨だった。傘をさしながら、東京駅から銀座を経て築地へと歩く。途中、銀座の街中を歩きながら登校する銀座中学校の生徒を見た。この子たちはどんな所に住んでいるのだろうか、とふと思った。

築地は人大杉で、ちとうんざり。土曜日に訪れるのは間違っているということのようだ。

早々に引き揚げたため、時間が出来てしまった。どうしようか、と、歩き疲れていたこともあり、今度は公共交通機関を使って移動しようと思い、とりあえず地下鉄の駅へと向かった。路線図をぼーっと見ていたら「南千住」という駅名が目に入ってきた。

東京に来る前の日に、どこでそうなったのかまったく記憶にないのだが、ネットサーフィンする間に気が付けば「ジプシーロッテ」に夢中になっていたことを思い出した。ロッテの悲しい歴史を紐解いている間に、わずか10年ほどしか使用されなかった、東京の下町に忽然と現れ消えていった「東京スタジアム」に心奪われいろいろ調べていたことをたちまち思い出し、跡地に記念碑でもねえだろうかと思い、てめえは地下鉄に乗り南千住の駅を目指した。

結果から言うと、東京スタジアムの跡地には何も記念碑はなかった。ただ荒川総合スポーツセンターとなっているだけで、東京スタジアムができる前にあった千住製絨所の碑が何故か残っていた。まるで東京スタジアムだけ、なかったことにされているような印象を受けた。

周りはまだ下町風情が残っており、遠くの方に高層マンションが見えた。おそらく、この周りは球場があったころとさほど激変していないのだろうと勝手に想像した。

「光の球場」「ナイター終了後に照明が消えると夜蛾が一斉に周辺の民家になだれ込んだため、一種の公害にもなっていた」風景を、瞼の裏に思い浮かべてみた。ふと、球場の中から、空を切り裂く球音と共に、少し遅れて大きな歓声が聞こえてきたような気がした。


その後は近くに走っていた都電荒川線に乗車。何も考えずに王子駅で下車。JRに乗り換えると、駅の構内から「さくら新道」という怪しげな飲み屋街が見えた。今度ここを訪れたときに攻めてみようか。

それから吉祥寺に移動し、いせやでタカダワタル的。よく飲んだが、飲み足りずに山梨への列車の中でも泡盛を飲んだ。


東京では、街並みをいろいろと見ようといろいろ歩いたが、正直見るものはなかった。新しい街に取り残された古い家や町並みなどが残っているかと思ったが、今回のルートでは見当たらず。スクラップ&ビルトが進んでいるというよりは、おそらく先の大戦での空襲にて、古い家は軒並み焼けてしまい、町全体として生まれ変わったのだろうかと思った。そこが京都との違いなのだろうと思う。まあまた今度、東京にある別の街を歩いてみよう。


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い・よんひー [MAIL]

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