どこを向いているのかも知らないのに どうして前に進んでいけるのだろう?
どこへ戻らなければならないのかさえ知らないのに どうして前に進んでいけるのだろう?
自分が確信を持てないところになんて どうして進んでいけるのだろう?
それが感情だなんてわからないのならば どうして感じることができるのだろう?
どう感じるかも知らないのに どうして何かを感じ取ることができるのだろう?
自分の感情がいつも否定されるようなときに どうして感情を持つことができるのだろう?
ねえ 人生は長いんだ で 君は強くあらなければならない そして 世界はとってもタフなんだ たまに自分もうんざりしてしまう
How? : John Lennon
最近はワールドカップ三昧。毎日何がしかの試合を見ている。やっぱ、思い入れがどうしてもできてしまう日本戦と違って、他国の試合は純粋に楽しめるからいい。
その中でも、昨日のフランス−ウルグアイ戦は素晴らしかった。特にウルグアイ。てめえの心をわしづかみにさせるええチームやった。ぼーっとしているのにスピードがある。フランスもええチームや。どっちも本戦に行ってほしいのだが。
暑い。っていうより熱い。食欲がまったく湧かない。
言葉が好きだ。それぞれ固有のリズムがあり、気分が良いときは言葉のリズムが溢れ、音楽になる。いろんな国の音楽を聴いていると、その国の音楽のリズムは言語に支配されていることに気付く。言葉があるから、音楽が生まれたのだろう。言語を持たない動物たちが音楽を持たないように。
言葉にはもちろん意味がある。いうなれば、音楽は、意味の込められたリズム、である。だから、他国の言語で歌われた歌を聴くとき、その意味を理解していないということは、その曲の理解に対して、相当な損をしている、ということに他ならない。
ヴォーカルは、最高の楽器だ。楽器だけだと、目と目でのみのコミュニケーションに似ている。ヴォーカルが加わることによって、それは言語を介したコミュニケーションに昇華する。
最近「知識」について考える。知識を持っているものは、それをわかりやすく理解させる「義務」があると思う。最悪なのは、知識を持つだけ持って、自己満足している阿呆だ。「そんなことくらい自分で調べろ」とか言うやつを見ると吐き気がする。ちょっと知っているからといって自惚れるな。自戒の念をこめて。
昨日は熱帯医学の勉強会の後に、友人たちを食事をし、それからだらだらといろんな話をした。頭の良い連中との会話ほど楽しいものは無い。と思う。自惚れになるかも知れんが、井の中の蛙になることは、彼らと一緒にいる限りないだろうな。
間違ったことを言うのが怖いのか、それともほんまに発想力が無いのかは知らんが、どー思う? と聞いても、わからんという答えが返ってくることが多い。いやまあ、ケースバイケースなわけで、てめえも「今年の流行のファッションについてどー思う?」と聞かれても何も答えは出てこない。ま、それはおいといて、自由な発想力がない、というのはとっても哀しい人だなあ、と思う。自分で呪縛しているしているのか、それとも日本の教育が大成功、ということなのか。
笑い、というか、ユーモアは、自由な発想からしか生じない。笑いのない人間ほど哀しいものはない。
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