解放区

2002年03月26日(火)

メモが落ちてる? なんてこった。


メールが再開した。今日は溜まっているメールに対する返事を書かなければ、と思っていたのだが、意味不明に疲れているみたいでまったく気力が湧かない。メモのほうも、半ば意地になって更新を続けてきたが、もはや限界らしい。自分の日記を楽しみにされている方には本当に申し訳ないと思う。

「日記を楽しみにされている方」というのは、昔はあまり意識していなかったのだが、一時期日記を書かずに読む方専門になっていたときに、一部の日記が更新していないことをそれまでより強くさみしく感じたことがあった。自分が読むばっかりで、ねえ。誰かもし一人でも自分と同じように思う人がいるのならば、なんか駄文でもいいから(というか、ほとんどはただの駄文だ)書いておこう、と思った。

それ(意地でも書くこと)に疲れたわけではないし、誰か個人のせいでもない。ただ自分でもわけがわからないほどに疲れてしまった。人間というものに疲れてしまったのかもしれない。




自分は「公」と「私」ではまったく違う自分が存在していると思う。「公」の自分は、自分で言うのもなんだが異様に頭の回転が速く、ユーモアもそれなりにあって気が付くとみんなの中心的存在になっていることが多い。仕事はたいていのことはこなせるし、それは事務でも肉体労働でも同じだ。そして状況などを自分の有利なほうに持っていくこともきちんと、ただし無意識のうちに計算している。

「私」ではまったく違う。みんな大なり小なりそういう傾向はあるのだろうが、自分はほんまに極端だ。人に会うことを極端に避け、何も考えずに発言し、ただ呆けたように酒浸りだ。人間が怖い。一部の人間を除いて。たちまち鬱状態になってしまう。書きながらも反吐が出そうなくらいクソな人間だ。


自分はその両方のバランスをとりながら、何とか生きている。崩れるとおしまい。



少し前に、自分によく似ている人間に出会った。先方は似ているだなんて言われたくないだろうが、本当によく似ていた。本当はぜんぜん似ていなかったのかもしれない。よくわからない。



「鬱病」の特徴は、「病識がない」(自分は病気だとは夢にも思っていない)、「鬱になる原因がない」、「朝に増悪する」、「眠れないし、寝てもすぐに目がさめる」とかそんな感じだったと思う。だとすれば、自分は鬱病ではないみたい。ちなみに、鬱病に対する「禁忌」は、「励ますこと」だそうで、自殺企図を強めるらしい。引越しや昇進を気に発症する場合が多いらしい。


とにかく、疲れた。しばらくはネットに繋げない日々に突入するので、ちょうどいい機会かもしれない。そんなことはない。ネットとは、きっと無関係な「疲れ」に違いない。



窓の外には、まだ明かりが点いている研究室が見える。みんな徹夜で研究に没頭しているのだろう。自転車に乗って家まで帰る気力


昨日は日本酒を飲んだら眠れなくなって、古いビデオを明け方近くまで見ていた。朝起きたらいつもの部屋があった。あまり眠っていないのに頭は妙に冴えていた。春になってからまったく呆けている。


別に誰のせいでもなく、誰の力も届かないわけではない。なければもっとひどくなっているに違いない。いろんな人の支えがあって、自分はここにいることくらいは自覚している。まったく恥ずかしい人間だ。


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い・よんひー [MAIL]

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