解放区

2002年03月24日(日) 葛藤

今日はとある方の日記を読んで、思わず涙が出そうになってしまった(というか、読んでいる場所柄こらえざるを得ないのだが)。自分にとっては相当珍しいことで、こないだの「友人の母のガン」の一件と同じく「どーでもよくない話」だと思った。

自分は何で日記を書くのだろう。と思うと「ストレス発散」以外の何者でもなく、ひたすら日記を書き残すことで精神安定を図っている。ということは、もっぱら(というか、全部がそうだとは自分でもよう言わんが)どーでもいいことばっかり書いている、ということになってしまう。

なんとなくどーでもよくない話をしてしまう。

昔付き合っていた女性に、付き合っていた当時「あなたはいつもてきとーなことしか言わない」「本当のことは何一つ言わない」という、痛烈な批判を頂いた事がある。そんなことは今まで言われたことはなく、かつ自分でもそんなことはまったく思っていなかったのでこれはかなりの衝撃を受けた。

そんなことはない、とそのときは反論したのだが、それからよく思い返すと、確かにそうだったかもしれないと思うようになった。その女性からはそれからのことあるごとに「ほら、またてきとーなことを言っている」と批判された。その批判は今でも結構心の奥底に引っかかっていたりするのだが。


何が書きたかったのか、書いているうちにわからなくなってきてしまった。彼女が指摘した「てきとーなこと」と、今自分が使っている「どーでもいいこと」は、本質的にまったく違うものではあるが、なんとなくふと思い出したので書いてみた。







自分の父親は、自分に「こういう人間になってほしい」という理想をある程度持っていたとは思うし、時にはそれを押し付けようともしてきたが、自分は父のそういう部分は好きではなかったので父親と距離をおくようになったのかもしれない。ちなみに母はまったくの放任主義者だった。が、父は「基本的には子供は生きてくれているだけでいい」と思っていたと思う。それはたぶんに祖父への反動だろう。

日本人ではない祖父は、戦後そのことで相当辛酸を舐めたらしく、一人息子の父には祖父の理想以外の道には進ませない、という気持ちで溢れていたそうだ。父はそのことに反発して、結局は家を飛び出して好きなことをしだすのだが、彼の父としての態度はそれゆえに中途半端になったに違いない、と思う。つまり祖父の意識を無意識に受け継いでいる部分と、自分の子供にはそういう気持ちを味合わせたくない、という部分が。そんな中途半端な父を見てきた自分は、自分の子供は生きてくれているだけで十分だ、と思う。

すべての親がそう思っているだろう、という期待ももちろんある。ことあるごとに必要以上にそれを主張してしまうのは、親子二代の葛藤を見てきたからだと今ふと思った。




まとまらないが今日はこの辺で。


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