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2003年07月08日(火) |
Factory01(不二・跡部 キリリク) |
「久しぶりだね」 跡部よりも小柄な少年は穏やか笑顔を浮かべている。その笑顔が彼の心をそのまま映すものでなく、それほど内面が柔和でない事も、跡部は知っていた。 「そう久しぶりでもないと思うが」 この夏、跡部の学校はこの少年の学校、青学と都大会の決勝で対戦していた。 「ここで、は久しぶりだから」 不二は掌を上にむけて周囲を差すように示す。 確かに跡部も図書館に来るのは久しぶりだった。しかし、それまでも頻繁に来ていたわけではない。どこの誰が触っているか分からない本よりは、自分で買う方を跡部は好んでいた。 「本を読む余裕ができたってわけ?」 「それぐらいの余裕はいつだってある」 「あぁ、そう」 君ならそう言うと思ったといわんばかりに、不二はわざとらしく肩を竦めて見せた。
小学生の頃から不二とは10歳以下のジュニアの試合でよく顔を合わせていた。跡部も認めざるを得ないほどの実力があるのに、あの頃の不二には試合の途中でラケットを放り出して「帰る」と言い出す気まぐれさがあった。しかも負け試合ならともかく、勝ち試合の途中で、だ。 勝負を途中で投げ出すその気性が、跡部には子供っぽく見えて内心軽蔑していたものだった。 ある時そんな不二と、とうとう対戦する事になった。 「逃げ出すなら今のうちだぜ」 試合前に跡部が言うと、不二はきょとんと目を丸くして、小首を傾げ「逃げるって?」と訊き返した。 「お前よく試合の途中で帰っちまうだろう。だったら今のうちに棄権しとけ。どうせ泣いて帰る事になるんだしな」 跡部の言葉に挑発されるでもなく、不二はへぇと声をあげてクスクス笑い出した。 「僕ってそういうイメージなんだ。ふーん」 手にしたラケットの柄を掌の上でくるくる滑らしながら、彼はますます目を細める。 「認めるのか」 「僕は退屈なのが嫌いなだけ。飽きっぽいしね、わりと。まぁ人が何を思おうが関係ないけど」 不二が跡部をまっすぐ見上げる。見開かれた瞳は、冬の空に浮かぶ星のように凍てつく光に満ちていた。 「馬鹿にされるのはあまり好きじゃない」 「されて当然の事をしてるんじゃねぇの、試合放棄なんて」 溜息のように不二が深い息を吐く。 「君とは退屈しない試合ができるかもね」 「安心しろ、そんな暇ねぇから」 不二が笑う。さっきとはうって変わった敵意の塊みたいな冷たい微笑みで。そうでなくては。跡部も心から湧き上がる楽しさを押し隠すようにニヤリと笑って見せた。
「今日は何を借りに来たの?」 不二はそう言うと、跡部が脇に抱えた本を覗き込んできた。跡部は読んでいる本を知られるのが好きではない。読みたい本、好きな本、読んでいる本を知られるのは、自分の内面を知られるのと同じような気がしてならないからだ。 けれど、不二相手にムキになるのもバカバカしく、跡部は背表紙が見えるように本をかざして見せた。 「『剣と絵筆』?」 タイトルを読んだ不二は、跡部の手から自然に本を奪い取る。自然すぎて抵抗する暇もなかった。 「児童文学?ファンタジー?」 パラパラとページをめくりながら不二が訊ねる。 「14世紀のイングランドの話」 ムッとした気持ちそのままに、ぶっきらぼうに跡部は答える。 「古い本だね」 「あぁ」 「前にも読んでなかった?」 跡部は曖昧に頷く。 武門の家に生まれながら生来の気弱さで僧院に送られた少年が、騎士を志して脱走することから始まる波乱に富んだこの物語は、ごく小さい頃、祖母が跡部に与えてくれた本でもあった。大事にしていたはずなのに、持っていた本はその後の転居の際にどこかに失われ、この図書館にあると分かって以来、読みたくなると跡部はここに来ていた。今もこの本を読んでいると、それを読み上げてくれる祖母の声が跡部の耳にくっきりと甦ってくるようだった。 不二とこの図書館で再会した時も、もしかしたら自分はこの本を抱えていたのかもしれない。どうでもいい事を覚えていやがると跡部は口に出さず、心の中で呟いた。 「よっぽど面白いんだね」 跡部に返しながら不二が言った。 「お前は」 不二の問うような言葉を避けるように跡部は質問し返す。不二はためらいもなく、跡部に手に持った本を見せる。 「『狼が来た、城へ逃げろ』?」 「ここの図書館の閉架図書にあったんだ。いいね、ここは。蔵書が多くて」 それこそが不二の足をこの図書館に向けさせる原因らしい。うちの近所の図書館は僕が読みたいものはあまり入らないんだと以前ここで会った時に言っていた。生まれるよりずっと前に発行された古い本を跡部は返す。 「面白いよ」 不二は踵を返して、並ぶ本棚の列へ入っていった。
最初で、今のところ最後の対戦となっているあの時の試合は、雨のために途中で中止となってしまった。周囲の大人が彼らの両手を押さえつけるようにして止めさせなければ、雨だろうが雷がなろうが、跡部は止めなかっただろう。たぶん不二も。 コートから引き剥がされるように腕をつかまれて去りながら、跡部は不二の顔から笑顔が消え、あの目だけが冴え冴えと瞬くのを見て、きっと自分も今あんな顔をしているのだろうと思った。隙を見せた方が食いつかれ、切り裂かれ、命を絶たれる、そんな試合を同じ歳の少年とできるとは思わなかった。 いずれ彼とは戦えるだろう、そう思っていたのに機会はなかなか巡ってこなかった。
「君の試合、僕も見たよ。うちの学校の対戦相手だったから」 中一だった去年、この図書館で不二と出会ったのも都大会の後のことだった。 「お前、なんで出てなかった」 思わず詰問めいた口調になる。 「いろいろあってね、うちの部には」 不二の通う学校のテニス部は、1年の夏までどんなに実力があってもレギュラーになれない決まりがあると聞いた。実力より年功序列が横行する、そんなことだから、あんなつまらない試合しかできない奴が出てきたのだろう。 「くだらねぇ」 不快さを吐き捨てるように口にした言葉は、嘲りの色が強く映る。息の根を止めるように叩きのめした相手など、最初から跡部の目に入ってなかった。今、目の前に立つこの少年、そうでなければ、観客席で静まり返る相手校の応援の輪の中にたたずみ、一際冷静な視線を向けていた眼鏡の少年こそが、目の前にいるはずだったのに。 「くだらないね、本当に」 不二が肩を竦める。 「なんで無理にそんな部にいるんだ」 不二のような人間はむしろスクールで好きなようにやりながらランキングでも目指せばいい。跡部はそう思いながら、自分も同じような事を他人に言われた事を思い出した。部活という狭い枠組みや奇妙な規律が支配する世界より、スクールで練習を積み、ランキング上位を目指したほうが、世界へ近づくと言われたことがあった。 「ちょっと面白い事があるから」 不二はそれ以上何も言わなかったが、彼が何を面白いと思っているのか、分かったような気がした。 いまだ跡部が対戦した事のない、天才とうたわれる少年、そんな存在が近くにいるのは、楽しいのだろうか。楽しいだろう、きっと。 戦うに値する存在がすぐ近くにある、その喜びに飽きることなどないかもしれない。
帰ろうとした間際に、不二が文庫の棚の前に立っているのを跡部は目にした。避けようにも、もうその通路に足を踏み入れていて、引くわけには行かずそのまま歩みを進める。人の気配に気がついたのか、振り向いた不二と目が合った。 「これ、読んだことある?」 気やすい口ぶりで、不二が手に持った本を跡部に見せる。 こんな風に言葉を交わすのも不思議な事だ。彼のような人間が自分の世界に介入してくるのは大会や試合の最中だけであるはずだ。こんな風に日常の中に滑り込んでくるなんて、どこか奇妙だ。なんて奇妙な事が起こっているんだろう。 「あぁ87分署シリーズか」 「あるの?」 不二の思いがけないといった反応が、跡部には少し楽しい。 「へぇ」 不二はパラパラとページをめくる。 「『警官嫌い』」 「え?」 「それが一作目」 跡部が指差した本を不二は手に取る。 「一作目から読まなきゃだめ?」 「シリーズってそういうもんじゃねぇの」 自分も全部読んでいるわけじゃないが、跡部はそう言ってみせた。 「長いんだよね、これ」 「生まれる前から続いているからな」 不二は軽く息を吐き、本を手挟む。 「勧められたのか?」 「いや。僕の知ってる奴が、エド・マクベインを好きなんだ」 「へぇ、それが理由か」 跡部の答えに不二がほんの少しだけ眉を寄せる。自分が何を言ったというのか。分からないが、不二もこんな顔をするのかと、跡部は愉快になる。 「エヴァン・ハンター名義のは読んでたから。こっちもね」 不二は元の穏やかな表情を取り戻すとそんな事を言った。少し言い訳めいて聞こえたのは気のせいだろうか。 「ところで、今日はいないんだ」 不二が話の流れを変えるように話し出す。 「ハァ?」 「さっきここでは久しぶりって言ったけど。僕、君たちの事はわりと見かけたんだ。目立つからね」 「何が」 「都大会の時にも一緒にいたね、あの大きい子。去年いなかったから、一年?」 樺地のことらしい。何を突然言い出すのだろう。跡部は内心首を捻りながら頷く。 「へぇ、もうあんなに大きいんだ。すごいね」 「あんまり言うな」 即座にそんな言葉を口にしていた。 「何が?」 何がと問われ、跡部は言わなければ良かったと思う。樺地の背の高さばかり言われる事が好きじゃない。そればかりどうして気にするのか、まず目に入る印象でしか判断しない周囲が分からない、ムカつく。たとえ樺地本人が気にしなくとも。 でもこの相手には言わなくてもいい事だった。 「いつも一緒にいるんじゃないの?」 跡部の言葉など気にする素振りもなく不二が言葉を続ける。 「いるわけねぇだろ」 「ふーん、そう。僕が君を見かけるときはいつも傍にいるようだけど」 「そんな訳ねぇだろ」 せいぜい部活の帰りや、試合の行き帰りぐらいだ。それ以外、樺地と顔をあわせる事などありえない。 「残念だね」 「何が?」 今度も不二は跡部の言葉を気にも留めず、目の前の本棚に視線を戻し、何かを探すようにさまよわせ、歩みを進めて、あぁあったと一冊の本を手に取ると、また跡部の前に戻ってきた。 「これ」 不二は有無を言わさぬ態度で、跡部に文庫本を手渡した。 「読んだことある?」 跡部は不二の思いがけない強引さに眉をひそめながら首を振る。 「スタインベックは、ねぇ」 「『二十日鼠と人間』、面白いよ。特に君には」 何かを企んでいるような笑顔を不二は浮かべる。 「何だ、それ」 「読むといい。じゃあ、また。関東大会で」 不二はひらひらと手を振るとさっさと貸し出しカウンターの方に歩いて行ってしまった。 「わけわからねぇ」 跡部は呆れたように呟き、押し付けられるように渡された本を棚に返そうとしたが、なぜか気が変わり、その場でページを開いた。
『サリダッドの南、二、三マイルのあたりで、サリーナス川は山の斜面のごく近くまで接近し、流れは深く、緑色をしている。流れが狭い淵に届くまでに、黄色い砂床の上を太陽の光を浴びながらきらきら輝いてすべっていくので、川の水も暖かい。』
切々と進む物語を追ううちに、跡部は不二がなぜ自分にこの物語を渡したのかが分かり、ムッとしたが、その頃にはもう、カリフォルニアの過酷な日常と友情の物語に心を離せなくなっていた。 「不二の奴・・・」 跡部は苦々しさに口を曲げながら貸し出しカウンターへ向かった。 全く、ムカつく奴だ、本当に。
☆いつもお世話になっているまえりさんのキリ番リクエスト「不二と図書館」に答えて☆
登場した作品は以下のものです。 『剣と絵筆』バーバラ・レオニ・ピカード(すぐ書房) 『狼が来た、城へ逃げろ』ジャン=パトリック・マンシェット(早川書房) 『警官嫌い』エド・マクベイン(早川書房) (エド・マクベインとエヴァン・ハンターは同一人物) 『二十日鼠と人間』ジョン・スタインベック(新潮)
私の趣味が爆発してますがどれも面白いのでお勧め。 不二はノワール好きだといい。跡部はクリスティーとクイーンから入門。今はエリザベス・ジョージとレジナルド・ヒルが好きだといい。二人の話はコナン・ドイルと乱歩(少年探偵団のみ)と少年探偵ブラウン、そしてズッコケ三人組(子供は基本)あたりがリンク。 「二十日鼠と人間」に何故ムッとしたのかは読めば分かります・・・大きな人と小さな人の美しくも痛ましい物語。映画も最高
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