日々、ポケットへつめこんでおいたこと。
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2005年05月24日(火) 歩く

5/22のすてきな夜が、まだしあわせにひっぱられて、うれしいちいさくどきどきどきどき。

でも夕方の心地よさと寂しさみたいな感じも、ずーっとあるんだな。たぶん常にあるんだな。

ちっぽけに歩いてます。ほんとうにちっぽけだと思う。やることなすことちっぽけだから、わたしなど、しゅうっと今ここで消えてなくなってしまっても、どうってことないと思います。もし今線路に落ちて、そこへ電車がやってきたら、、、誰か心配してくれるのだろうかなんて、よく思います。ほんとうにわたしを心配してくれるひとなんて、なんてね。

駅で、「アドレス教えてくれませんか?」と、かわいい女子校生がきゃぴきゃぴと、かわいい男子校生に声をかけていました。まんざらでもなさそうに、ポケットに手をつっこんで携帯をとり出す男子。

駅で、ホストみたいな男のひとたちが、お化粧のきれいなギャルたちに次々と声をかけていました。ある男の「今のバイト、自給いくらなの?」という問いに、あるギャル、「3500円」。

みんなたくましい。たくましく歩いています。たくましい度胸で、そうやって自分の、自分だけのしあわせに向かって歩いています。自由に歩いています。勝手に歩いています。自由すぎて勝手になりすぎて、もうどうしたものかわかりゃしない。しあわせって何なのかと、細木先生の怒鳴り声。

宮沢賢治はきっとお空の上からおろおろしてらぁ。

わたしの足下、ぼろぼろのワンストラップシューズ。一年中履いている、一年中というか、もう何年も履き続けているので、底もへって、靴の中もぼろぼろ、でも好きだからどうしても履いてしまう。
先の尖った靴なんて、履けない、あれは履いたらわたしじゃないのだ。
気に入りの、先の丸いボロ靴で、ちっぽけに、ちっぽけに、ただ歩く。まぁそれでいいのではないかということに、させて下さい賢治先生。わたしの先生は、細木先生でなくて、賢治先生。おろおろ歩く、賢治先生。先生のようにはなれませんけれど。

しあわせなドキドキと、不安まみれのドキドキがせめぎ合いながら、今日もただ歩く。ぼんやりしたり、はっとしたり、ぼんやりしたり、はっとしたり。おろおろもするさ、ちっぽけなわたしにゃ大きなことは無理だもの。でも、ちっぽけでも、大切なものは見失わないよ。大切なのは、先の丸い、ボロワンストラップシューズ。だからわたしは、まちがっても線路に落ちたりすることは、ないのです。


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