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2009年01月04日(日) |
2009年 年のはじめはさだまさし |
いきなり、モト冬樹さんたちによるさださんの歌ワンフレーズからはじまりました。バックのホワイトボードには、「第1回NHKさだまさし紅白歌合戦」(爆)
内田朝陽くんが『精霊流』歌ってる(笑) て、いきなり『防人のうた』で♪山は市にますかさだはどうですか?♪って(爆)
お茶の間セットにはいつものれいこさんとチキンガーリックステーキのほかにあのさかなくんがいる(笑)素敵(笑)
いつまの他局チェック、「だけどね、一番の強敵はジャニーズカウントダウン!」(笑)、で「これはしょーがないね」と続けるさださん。しょーがないんだ(笑)「終わってからこっち帰っておいで」(@テレビ)
よ、読まれてるよ(;^_^A
でもね、さださん、今年は帰ってきてからじゃ間に合わなかったの。京セラドームで、KinKiの単独カウコンに参加しちゃってたもんだから(笑) 当初予定になかったジャニカウコンに中継ありになったから、ま、すんませんてことで(;^_^A
1曲目は『大晦日(おおつごもり)』
♪クリスマスが過ぎたなら今年を振り返る季節 だってもうすぐ誰にでも新しい年が来る クリスマスが過ぎたなら心を入れ替える季節 ちゃんと反省した人にはすばらしい年が来る
どんなに辛い年でも どれほど苦しい年でも 全て今年に詰め込んでかなしみにさよなら
大晦日の夜にはゆく年に心からありがとう みんなで一眠りしたなら しあわせになろう♪
ちゃんと…ちょっと?(ドキ)反省したからすばらしい年が来るかしら。
さださんが紅白に出ないもんで、そっちは油断した(;^_^A 出先で携帯ニュースで、氷川きよしが白組のトリと決まったとわかったら、速攻母と祖母(祖母は母から聞くんだよ)に転送しました。 「よかったね〜スゴイね〜(泣)」ウルッてくんな!ってつっこんでたのに… さださんが出ないから油断して、トリ前くらいから予約するはずが、忘れてカウコン行っちゃった(--;)
母に「きよし、先輩らに遠慮してたらみなさんがいけいけ言ってくれて、泣いちゃった」と聞いてまた泣きました(笑)
ごめんよ、きよし(;_;)
で、さださんは観覧希望ハガキが543通なのに、読むハガキが800人しかいないの?正月は忍者じゃないからもっと書いてもいいと思うよって。ほぼ読めない(時間がね)んだけどね。
で、次回は2/14、チョコ目当てだそうです(笑)観覧希望出そうかな…。
へー 2009はガリレオ・ガリレイがはじめて天体望遠鏡で天文観測して400年で、世界天文年なんだって。
あらあら、 最近見逃してばかりだったので、お年始ばかりはコトハジメとしっかり予約してってよかったです。 『大晦日』でまた元気もらったし… って、あらあらはドコに続くかと言ふと
「さだが許さん!!」 のとこで『必殺』のテーマが流れるようになってたのね(;^_^A ありがとう、NHKなのに今年は宣伝してもらってるようだよ。 ねーNHKだから、前、見てた時は某フランチャイズ丼店とか言ってたのに、今はスタバをスターばっかりカフェとか、ディズニーをねずみーと言ったりするようになったのね。さださんの瞬発力が発揮されるわけね。
あ、ペンネームもっちゃんさんだって、私じゃないけど照れる(;^_^A ねぇ、本名だと「すげー偶然だけど、あなたのおかげで私の名前を○○さんが呼んでくれたわ〜」とイタイ状態になります(苦笑)
やった! 多滝鱒造先生の人生レッスン復活だ!(戸張さん、ありがたいよね)
さかなくん、さださんを魚にたとえると おしゃれなだんごうおだそう。 急遽れいこねーさんが、さださんがさだファンだから連れてきちゃったらしい(笑)ゆ、ゆるい(笑)
16歳の子から、「私はジャニーズとさだまさしさんのファンです」というハガキに、苦笑いで首をかしげるさださん。 私は16歳ではないが、そうです。 ちなみに16歳の頃はアイドルと呼ばれる人達を否定していました。テレビや流れる街の歌がチャラチャラしてわずらわしい雰囲気が嫌だったんです。 当時私の偶像崇拝はさださんと高見沢さんでした。高見沢さんをチャラチャラしてると誤解しちゃいけません!彼はバリバリ体育会系の男くさい人です。
その頃にはもう否定してはいませんでしたが、同じように、堂本光一さんのお陰で、誤解しちゃいけないことがわかりました。本気でアイドルやって出てこれるのは、チャラチャラしてるばかりだと消えてしまい無理です。子供の頃から労働者だし。
ハガキの内容は、カウコンと番組時間がかぶるので毎年悩むという、同じ悩みでした(爆) わーい、16歳と同じやん(笑)
て、引き続きさださんは、「変わった人いますよね」とハガキへ。 さださんとジャニヲタは共存出来るのよ!! アルフィーマニアとキンキヲタが驚くほどかぶってるのには負けるかもだけどね。(高見沢さんが堂本兄弟出る前から居たカケモですが、出たら増えた(笑))
次のハガキは「好きなのはさださんと宝塚月組です」だった。組指定だよ!
さださんにとっては、宝塚とジャニーズは同じニオイがするらしい(笑) ちなみに高見沢さんは、宝塚も行くし『EndlessSHOCK』も行きます。
引き続き、前にさださんのファンは宝塚ファンが多いみたいに言われたことがあるが、それはかぶるというより変わった人が多いと言うさださん。ま、質に似てるとこがあるように感じるらしい。
頑張れ受験生!なのでさきほど来、たくさん読まれてるのですが、再び。 母がデリカシーが無いっ!ってハガキ。 お母さんに頼んで消ゴム買ってきてもらったら名前が「激落ち」(爆)、聴く曲が『桜散る』(さださんのいい曲なんだけどね〜時節柄ね〜)(;^_^A
さださんは、すべる落ちるとか言葉を気にしてるようじゃダメだよとアドバイス。 確かに、思い起こせば、我が家でもまだまだ若く元気だった祖母も母も、私が受験生であることに全く気にしないで、すべるだの落ちるだのこけるだの言ってました。だって生活してて使うんだもんね〜。 ホントは気にしてたのかもしれないけど、親が過敏になるのもいけないと思ってたかも…いや、ないかも(;^_^A
縁起が悪いなら、早いとこ本番前につかっちまいましょうぜとばかりに、私もわざと言ってたような気が。
締めに「挫折を知らないと人の痛みがわからない人になりますからね」
へー(その2) 今年でNHK教育は50年 NHK-FMは、40年なんだって あぁ、そうそうさださんの作曲講座見てたわ〜。失敗しつつ録画したのがVHS区域のどっかに埋もれてるはず。
って、え? BSがもう20年ですか?! へー そんなにぃ
てか、 すごく偉い人がわざわざその告知に現れたのに、おたおたしてるのは、深いま虫(さだファン)だったので、挙動不審だったのですね。 おー、かっこいい頃のさださんが載ってる昔のパンフとか、紙袋に入れて持参。ありがちで素敵。なんか坂崎さんとかなぎらさんの番組見てる感じだ。
サインしてもらってるし(爆)
空気かわりまして… 戦後復興した人達の苦しみ苦労を考えると、不況不況って言うけど、直前の裕福な後の不況だから、僕らはもっと謙虚にならなきゃいけない
と、(意見には個人差があります紙でなく、僕個人の意見だけどね、と話はじめられたよ)
そうなのね、落差の問題もあると思うの。 例えばバブルがはじけた時、私の友達は、給料さがるしボーナス半分だしって泣きそうになってたの。一緒に計画した旅行も行けそうにないとか言い出して。 私は気の毒になって、そんな激しく落ち込んだかーと、「でも旅行は行こうよ、先がわからないからこそ行っとこう?なんなら現地のご飯は私がおごるよ」 とまで言ってました。
話してるうちに、下がったもうダメだ、こんな金額じゃ生活出来ない(まだ親元でしたが)、と言ってた彼女の給料もボーナスも、はじける前の私の給料よりもボーナスよりもまだ高かったです(苦笑)
先にわかってよかったよ。ご飯おごる前で(笑)私がかわいそうだよ(爆)
元々バブリーじゃない賃金と労働で、暮らし向きもそれなりの楽しみで、いつまでもあると思うな親と金、なんで貯金もし、将来ひとりだろうしと個人年金もかけ。飲みにも行くし、服も買うし旅行も行くけど、おおよそバブルとは関係ない世界の中でやりくりしていたんですね。
なので、個人的に株にはまってた人は別として、うちの家族も私の同僚もバブルのあおりを受けてないんです。だから、はじけたはじけたって世間が騒いでても、あまり以前と変わりない暮らしが出来ました。 でもね、それはだってそうじゃない? 元々バブルを知らないんだもの。ある意味強いね〜と。
だから落差がないんだよ?って説明出来ない(聞かない)人からは、見た感じだけで親戚からも、バッシングを受けて悲しかったです。君ら、バブルん時、うちらが考えれん金貰って使ってもうたんやろ?貰うはいいよ、そういうとこに就職したんだからさ、君らが偉かったんだよ、でもね、いつまでもあると思うな金と親ですよ。どーしていつまでもそんな高給を取っていられると信じて使ってもうたん?私はそれが信じられなかったもん。バッシング思い出し熱くなった(;^_^A
そんなローン怖くて組めないよ、ってマンション買ったり…。 私は転職もしましたが、両方堅実な会社でよかったです。確かに、證券の女子の1年目の夏のボーナス(勤めて2、3ヶ月っすよ)いくらか聞いた時は、信じられへん(>_<)てか羨ましすぎる!と驚いたけど、私に證券会社で働きたい願望も働いていけそうな要素もなかったから、人は人、自分がこれから転職トライしてみようと思えない(自信もない)タイプの会社の給料うらやましがっても仕方ないよ。
お陰で、平坦な昇り坂の給料が、それでもあおりで下がり始めても、そこほどの落差出しようがないので、ガッカリはしたけど、暮らしぶりはそんなに変えずで行けました。
まぁ、お金は貯めてばかりでは回らない、使ったら入ってくるとも言いまして、使いもしますがね(笑)
今の不況は、バブルとはまた性質が異なるというか、雇用の仕方(され方?)が違うので、同じようには語れません。
当時も下請、零細とかについては別で、あくまでバブリーに踊ってたたくさんの知人比です。
とか考えたり…
さださんの話は中学の頃の帰省の話になります。ちょうど年末のフェスで久しぶりに聞いた、寂しげで後にいい話です。
親切とは何かを体験した出会いで、それがなければその後がかわってたかも、そしてその頃の(昭和40年代)大学生がそのようだったとは、時代に厚みを感じると。
コンサートでこの話を聞いた時に、学生運動をしていた頃の大学生って、凄いよなと。今の大学生ももう受験になんて絶対無理って思うくらい凄い量勉強してたどりついてるんだろうと思うけど、頭の良さというか勉強を思考する事ととらえると、昔の大学生はすごかったなと思った。
『寒北斗』…帰郷の歌
挨拶は会話の蛇口。 挨拶をする事で、家族でもね、まず家族の蛇口を開いておいたら相手の心との蛇口が開く感じがする、と。 なんかの折りに水が通る。
面白い表現です。
あ!多滝鱒造を見てて思い出した。 キンキコンMCで光一さんが、「オレ、ゴルフ向いてないねん」「あ、野球が抜けへんからか」と納得して、「スパーン!」ってキレイに叫んでたのが思い出されました。
まぁ、『主人公』♪ この歌は私の支えであり、戒めであり、マイペースでいこうという割に頑張りすぎてしまう歌。そして何より、マイビリーを思い出す歌です。
いつか再会した時に、あなたに恥ずかしい自分でいないように、頑張って生きよう。そう思い続けて思い続けて。結局、Latestな再会の時は一番恥ずかしい自分でした。でも、それをさらけだせる人だったマイビリーに今更気付いたのかとガックリしつつ、あぁきっとまたいつかどんな時でも自分を出してと会えるようになった事に嬉しさも感じたね。
でも、確かに「或いは、もしも、なんて」いうのは嫌いな人ではあります(苦笑)
♪自分で選んだ以上せいいっぱい生きる♪
私の大切な歌である事は今も変わらない。
「今年のテーマは元気で生きる」だそうです。 今日は、明るい話題をチョイスされたお陰か、 「親切の先送り」が印象的。 そうよね、期待して親切はしないけど、辛い時はうっかり自分にも親切まわってこないかなーとか思っちゃう自分いるの。嫌なんだけど。で、嫌いにならないようにというか、癖で(笑)出来る親切は意識しないでやれてたらいいなと思う、実はそんな事をよく考えた昨年でもありました。つまりは親切が押し売りになってもいけないから難しい事、そうしたくてやった事に「ありがとう」と言われたら、もう十分、期待しない!と言い聞かす事。
後は、親切にしてもらったら、その人に返せたらと思うけど、返せなくても他の人に出来るようになったらいいなと。
「親切の連鎖」難しい事ではなさそうなのに。
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