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2007年11月21日(水) |
先週の『働きマン』と今週の『ガリレオ』 |
先週の『働きマン』は、『相棒』がスポーツで30分ズレたため、前半が録画されてませなんだ。(多分今日もだな)
ちょうど、退社しようとする田中(もこちゃん)の背後で松方(菅ちゃん)が倒れるとこから入ってました。 どうなることやらと思った新人田中も、基本はいいヤツ設定ですね。ホントにやる気も愛着も、仲間意識もないヤツならば、救急車呼んで終わりです。 誰が背中にしょって病院運び、勝手に風邪と過労で倒れた疎ましい先輩を、治療が終わるまで待ち、家に送り、一度顔を見たことがある(前半でこの回で取材してるのか)松方彼氏に電話して、呼んであげます?
過去エピで、思った編集部に配属されなかったとは言え、田中もきっかけさえあれば働きマンになる。きっかけさえあればねぇ、と、部長と編集長が話してましたが、なんだかんだ言って、この松方の居る編集部は仕事に対して差はあれ、責任感、「仕事」に対する意義を知ってる人たちがいて、だからこそか信頼関係やチームワークが知らずに出来ている。
初回で、ことなかれ主義なこと言ってた部長も編集長も部下をよく見ている、管理職に向いた(「管理職をきちんとやっている」)人たちである。
働くのに一所懸命になって達成感が自分だけでなく、共有もできる、働き甲斐のある職場と言える。
翌朝、目が覚めた松方は、今日くらいは休めと言う新二(吉沢くん)に「仕事があるから」と言う。新二は「仕事なんて誰でも代れる」多分、君は君しかいないみたいに引き留めます。 それを松方は、「あたしが行かなきゃ!」「あたしの仕事なの!」と言い張って出かける。 新二は思わず「なんでそんな頑張るんだよ。そばにいる人間はつらいんだよ」とはじめて本音をもらします。
実際に誰かでなければ出来ない仕事、と言うのはどんなものだろう。 割り振られた仕事は私の責任であり、またまわり、特に後輩の仕事のフォローも私の責任の中に含まれる。 私は私の仕事をやりとげたいし、出来る限りの誠実さと公平さでやりとげたい。
でも、「親」や「芸術」「スポーツ」以外、特に組織に属する人間の仕事と言うのは、結局誰でも出来るものでなければ、まわらないともいえる。 寂しい言い方をすれば、駒だ。 私の仕事、私だけの仕事はありえてはならない。単に不在の事を考えても誰かが引き継げるものでなくてはならないし、来年も私の仕事とは限らないし、後輩を育てなくてはならない。
それをわかりつつ、でも今は私の仕事なので、せっかく私に与えられた、もしくは私が企画した、気になった仕事なのであるから、自分が納得がいき、更に人にも「そんなやり方があったか」とか「ならではだね」とか「任せてよかった」とか、接客ならお客様の「ありがとう」とか、 私がやって、他と違った良き面が見い出せ、次に繋がれば、ただ「こなす」だけよりもやりがいがあるのではないかと思う。
それを見ている誰かが「しんどい」と感じるくらいやってしまうこともある。「必死にやられすぎてもこっちが困るねん」
また、繋がれば、と期待しても後任が必ず繋ぐタイプとは限らない。頑張りは水泡と帰すことは多い。
私は、松方が職場に出向き、自分の替わりに働いている人間を見た時の愕然に、リアルを感じた。
だがしかし、松方は恵まれていた。体力にも仲間にも。 「今日1日くらい、お前休め」と、編集長が入れた留守電を聞かずに出社した松方に、まぁやはり「無理するな、帰って寝て、また明日から頑張れ。田中が引き継いだ」とか言うわな。
「え…でも、それは私の仕事…」呆然。
そうしてる松方に、帰って休まないで大丈夫なら、あなたの仕事(記事だから、書き手が出る仕事だしな)だから、どうぞ、とすぐにスライドし、編集部全体が松方有りの空気ですすんでいく。
これは恵まれた職場だよ。
もちろん、それだけのことを松方がやってきているからにしろ。 「働きマン」になり甲斐がある、「働きマン」になれる職場だ。 素直に羨ましいと思った。
『ガリレオ』では、逆に湯川先生が責められてましたね。 柴咲コウ(役名ド忘れ)に、
「あなたは、本当に心から誰かのために何かしてあげたいと思ったことがないの?そうしたことがないからわからないのよ!」
冷たい科学者呼ばわりである。 確かに、科学的に説明がつかないことはないからと、「わからない」事を「わかる」ために湯川先生は頭を働かせるわけだから、自己満足とも言えるわけです。
でも、今、あなたがなじっているその目の前で、湯川先生がやっていることは、湯川先生にとって、自分の研究を止めてまで「わからないことを判明しなくては先に進めない事」だろうか?
現実の世界でも自己中心で、他人や大事な人をも思いやれず、なんだか陰惨な結果になる事件や、事件にならないけど誰かを苦しめる事が起きている、たくさん、たくさん。
でも、柴咲演じる刑事が、何件かの事件を通じてもう知っている湯川先生は、ただの自己中心な科学ヲタクだろうか。そうでないことを感じているから、彼女は湯川先生を信じているのじゃないの?科学者の才能だけでは、そこまで信じることは出来ないタイプの人そうに彼女は描かれていると思う。
感情的に物を言う、というのも彼女の役柄だけど、あれだけ言っちゃったのに事件を解明し続けてくれた湯川先生に、「私、すっごいひどいこと言っちゃったよ。どうしよう」なシーン(どうともしなくても)が、あってもよかった気がする。ありましたっけ?
多少(?)傷つきつつも、「わかる」まで止めない湯川先生、というのも、役柄なんだと思うけど。(しかも今回は、湯川先生の言うように物理科学的な解決より違う洞察力で解決したし)
人には簡単に見えないこともあるよ、その人がどれだけ心から何かをやっているか。 言葉ではそう見えない発言をする人は、わかりにくい。相手に気持ちが伝わらないのは悲しい。
でも、言葉では「心から」の行動を示す事を言いながら心無い人だったとわかった時のほうが、わかってもらえない悲しさより悲しいかもしれない。
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