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- 諸行無常 -

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2005年07月17日(日) 人の器を量る秤は無い

とある人のつづりを見ていて思ったことがある。

背景の無い場所から、一心不乱に努力をするその姿がそこには見える。

言葉だけではなく、その裏側に見えるものを想像させてしまう、その人間力がそこにはある。

人は表面に表さなくては意思の疎通が出来ない生き物。

テレパシーを持っているのでは無いので、言葉、身振り手振り、表現力によって自己をアピールする。

殊にこれを苦手とする人もいる。

苦手なその人は表面に自己を表現することが上手くない。

不得手は誰にでもあるもので、そんな表現力で損をする局面を持つ者も居ると思う。

全てがそうとは言わないが、多かれ少なかれ、人と接する事に慣れない環境に居る場合などはそうだろうと思わせる。

人は心の中身を見ることが出来ない。

それはMRIでもCTでも覗く事が出来ない。

でも、日記、Blog、Webなどにそれを表現の場として、見る事が可能になった現代のこの文明は

相互理解の上で役に立っていると思われる。

文明の生んだ物は何でもそうだが、使う人間の人格やモラルが問われる所。

良きに扱われれば、それはまたとない益材となる。

人は量る事が出来ない。

体重は量れても、その心の中身や器を計る秤は無い。

仕事を終え夜半過ぎ、タバコに火を付け誰も居ない公園に座り、何も無い真っ暗な空を見る。

空は黒くないことを気付けるだろう。

空が黒くないことに気付けている人はどれだけ居るだろうか。


toto