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- 諸行無常 -
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2005年03月27日(日) |
2枚のモナリザとダ・ヴィンチ |
また『ダ・ヴィンチコード』を題材にした番組がやっていた。
先日の番組とは違った視点で捉えられた番組。
まあ、大方の内容は一緒だけど。
ルーブルのモナリザがマグダラのマリアを模して描かれたものでは無いかと言う仮説。
モナリザの贋作は沢山あり、弟子が描いたものもある。
モナリザはニース版モナリザとルーブル版モナリザが有ると公開されてきたが
今回スイスの地下金庫に納められていると言う新たなモナリザが公表待ちをしている事がわかった。
このモナリザは明らかにモナリザのモデル、つまりジョゴンド(ジョゴンダ)と言う女性を書いた物で、ルーブルのそれより若く、唇も赤い。
かつての表現の中に、マグダラを表現する際、マグダラは元来娼婦であり、娼婦らしい格好
つまり胸をはだけ、宝石を纏わず、髪は長くおろされているというものだった。
それが所謂娼婦をあらわす定石のような物になっていたらしい。
ダ・ヴィンチはシオン修道会に名前を連ねていたように、マグダラを信仰していた。
おれはむしろ信仰していたと言うより、この番組の劇中でも言っていたが、
マグダラこそ人間の真性、人間そのもの、神キリストの子を宿した娼婦、その現実こそが全て
人間こそが素晴らしい、生きている事が素晴らしい、そんな事を訴えていた気がする。
ダ・ヴィンチは創作物全てが解剖学に於いても科学に於いても、全てが当時を覆すような現実主義。
その精神世界主流の世に在って、現実主義を唱えた事により、変人扱いを受ける事を避け
自らの創作物に、その精神を宿して行ったのだと思われる。
いつの時代もそうだ。
右にならえの心が人々を同じ方向へと向かせ、反対を向く人間は変人、変わり者扱いを受ける。
果たしてその風潮の中に逆らわずして、これまでの世紀的発見者や科学者が居合わせただろうか。
偉人たちは皆、世に逆らいながら、それまでの常識を覆してきた。
だからこそ英知と言う尊き存在が我々の中に浸透してるのでは無いだろうか。
決定的な岐路に立たされた時、人が皆右をと言ったとしても、俺は左を信じたら左に向かってしまう性格。
単に頑固といわれたらそこまで。
おれの親しい人たちには話している事だが、おれは若い頃から、100人中99人が無理だと言う事を
覆してやろう、とか、俺がやったら別の答えが出るんじゃないか、と言う、ありえない自信を持ち続ける事にしている。
失敗を身体で知るのだから、勿論キックバックされたマイナスは計り知れないが
知ることに意味がある。
体感する事に意味がある。
戒めを得る事に意味がある。
その先を考える事にも意味がある。
これは、最もらしく聞こえる俺のエゴかも知れない。
でもこうして今までを生きてきた。
周りの俺を後押ししてくれる友に恵まれながら。。。
toto
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