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- 諸行無常 -

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2004年08月15日(日) 御盆

故人の墓参りをした。

祖父の分と2人分。

故人の入院時の写真と走り書きを見る事になった。

細く痩せ細り見えるのは骨と皮だけの生きた屍の様にも見える体。

無理やりな笑顔だけが写されていた。

腹部は大きく腫れ上がり寝巻に収まり切らない人口肛門が痛々しい。

それでも写真には笑顔を向けている。

苦労が有っても、大変でも、やっぱり生きている事で

全てを補える事の尊さ

それを知ってから早2年が経った。

食べものを口にする事も、水を飲む事すらも許されずに

3ヵ月余をベッドの上で過ごし

それでも尚、笑顔で写真を撮る事の出来る精神を自分が持っているか

と、考え直したりもする。

亡くなった者に罪は無いと俺は思っている。

犯罪者でもそうだ。

死刑という極刑が在る意味はそう言う意味だと捉えている。

(もちろん被害者への心のケアを考えないでこんな事を口にするのは軽はずみな発言かも知れないけど・・・)

故人との間に色んなしがらみが有り、彼女は死んでいった。

それで水に流せるだろう。

苦しんで死んでいったのだから。。。

今尚負の財産を相続している俺はこの負の相続を背負う事が

生前尽しきれず止む無く失敗に終わった事への償いだとも思っている。

8月。

この月は毎年色々な事を考える。

神聖な心もちにもなるし、生について様々な事を考え直したり

ふと線香の香りが懐かしくなったり

お寺の畳の匂いを嗅ぎたくなったりする。

死を望んだりする者が多い今の世の中だけど

死を以って清算し、自分の過去を消したり今をゼロにする事が出来たとしても

輪廻転生が存在したらどうだろうか。

瞬く間に別の人生として生まれ変わり

その環境が必ずしも恵まれた環境、五体満足とは限らないのだから

今をしっかり生きて楽しいと思える自分の人生に変える努力が必要だと考えてしまう。

俺はいつも思う。

苦しい状況の中、もしも自分が楽しみを見つけてニコニコして笑っていたら

周囲から「笑ってる場合じゃないだろ?」って

思われるんじゃないかって。

それはそうだよね。

周囲の人に苦しみの渦中にいる人の精神状態は計れない。

でもねそんな小さな楽しみを見つけたりする事だけで

その先をまた1日、1週間、1ヵ月、1年と頑張っていけるのなら

唯一自分が出来る心のコントロールだよね。

人が今の年齢、環境、性格、顔、体で生まれてこれるのは1度だけ。

今のたった一度だけなんだ。

もっともっと大きな世界観で沢山の事を見たり聞いたりして考えなければならないんだ。

今を生きるなら

今を生きなければならないなら

どうせなら楽しまなきゃね。。。

世の中の没者、無念の法名の方々にあらためて手を併せたいと思います。

(-人-)ナームー






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