悲しさと悔しさと怒りと。 - 2002年12月01日(日) ご無沙汰してました。 体調の方はもうほとんど良いのです。 普通に宴会などを連続でこなしたりしてますので。 ただ、やっぱり土曜日も血痰が出ましてちと不安です。 ただの風邪の方がどんだけマシかと思います。 とりあえず生きてます。 ご心配をおかけしました。 この日ばかりは“生きてます”という言葉が重くのしかかります。 日中、事務的な連絡で実家と何本か電話の往来がありましたが、 夜になって再びかかって来ました。 先輩が亡くなったそうです。 亡くなったのは6月。 うちの親は先週喪中の葉書を受け取って知ったのですが、 この一週間、体調の悪い僕を気遣って言い出せなかったとのことでした。 半年も前のことなのに何故今まで伝わってこなかったか。 それは隠されていたからであって、同時にある種の予感が過ぎります。 ところが、心の準備とともに投げかけた「何故?」という問いに、 返ってきたのはまったく噛み合わない答えでした。 あいにく、 人間の死を穢すような下卑た邪推を聞く耳は持ち合わせていないので、 すぐさま会話を遮ってしまいましたが、とにかく、自殺ということでした。 いろんな感情が錯綜して、うまくまとめられないでいます。 何で今なのでしょう。 死因が自殺だと周囲に公表しづらいものなのでしょうか。 それが世間体というものなのでしょうか。 そして、何でそんな口がきけるのでしょう。 それが悼むべき死者に捧げる言葉なのでしょうか。 しかし、一番疑うべきは、何故自らの手で命を断ったかであって、 事実を自然に受け入れてしまうことができる僕も同罪ですか? あなたと過ごした4年間。毎日競い合って稽古しましたね。 先生の持ってくるあの青いバッグが窓から見えたときはとても怖くて、 壁にマットを張り巡らした道場を泣いて転げ回ったのも昨日のことのようです。 特に春と秋は毎週のようにいろんな大会に出ましたね。 個人戦の準決勝で顔を合わせたこともあったし、 最後には念願の全国大会にも行ったじゃないですか。 あのとき僕のせいで負けたのがいまだに悔しいです。ゴメンナサイ。 あなたは、 尊敬すべき先輩であり、 倒すべきライバルであり、 心強いチームメイトでした。 いつかまた、 みんなで稽古する日を、 勝負する日を夢見ていました。 それはもう届かないのですね。 素晴らしい日々をありがとうございました。 安らかに眠ってください。 僕はまだ、 何だかわけの分からないまま、 生きてます。 とりあえず元気です。
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