受話器の向こうで。 - 2002年06月30日(日) 携帯電話が普及した。 そんなことは誰でも知っている。 僕はいまだにピッチを使っている。 そんなことはどうでもいい。 昨年、高校に教育実習に行ったときは、 優にクラスの8割の生徒が携帯電話を所有していた。 高校に進学して2ヶ月に満たない1年生が、である。 時代が変わってしまったといえばそれまでだ。 僕のころはせいぜい女子がポケベルを持っている程度だった。 今思うとポケベルというのは著しく汎用性に欠き、 逆に自由を縛るものだという気がしてならない。 それでもあのころはコミュニケーションの手段としては画期的で、 メル友という言葉が生まれたのもここからだった。 わずかな半角文字を駆使して恋愛に没頭している人も少なくなかった。 それは幾分盲目的で。 ある意味、今日のネットやメールを介しての恋愛の原型とも言えるだろう。 そしてポケベルほど急速に廃れていったものも珍しい。 単なる時代の繋ぎ役にすぎなかったのだろう。 現在ポケベルを使ってる人間なんてうちの親父以外見たことがない。 さて、話を電話に戻すとする。 昔は家庭に一つの電話だった。 今は個人に一つの携帯電話。 携帯にかけると個人にダイレクトにつながる。 24時間、いつかけてもそれは変わらない。 真夜中だろうがなんだろうが携帯は鳴る。 しかし、家庭の電話(通称イエデン)はそうはいかない。 昔は好きな人に電話をかけるのは一苦労だった。 まず、かけられる時間帯を気にしなきゃならなかったし、 かけても本人が出るとは限らなかった。 最後の数字を押して呼び出し音が鳴る。 もっとも緊張する一瞬。 ご両親が出たら粗相のないように名乗らなきゃいけない。 そして名前を告げて本人に代わってもらわないといけない。 普段は苗字で呼んでるのに、名前を告げるのは違和感だらけで。 いろんな思いを巡らせているうちに電話がつながる。 「はい。」 「あ、あ、あのっ・・・。」 「え? ああ、こんばんは♪ どうしたの?」 本人だ。 たくさん心の準備をしたのに本人が出てしまった。 意表を突かれ、拍子抜けしてしまって。 それでも今度は別の緊張がおそってくる。 結局うまく言葉にならなくて、いつもしどろもどろで。 大した会話もできないけれど、 受話器の向こうに貴方がいるだけで幸せだった。 嬉しくて、楽しくて、少し切なくて、 この至福の時間がいつまでも続けばいいと思ってた。 素朴なドキドキを感じていた子供のころ。 ひどく懐かしい。 無性に貴方の声が聞きたくなった。
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