『スウィート・バイエル』
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2013年05月01日(水) |
(その2) unsatisfactory そして not-self |
(前回の続き) 拙いながらも、まとめてみました。 箇条書きにしてしまったので、お話しの雰囲気そのものが伝わりにくと思いますが。 これらのことは、お腹に力が入っていない感じの声で(笑) 淡々と、ほぼ感情を込めずに語られ、お話しが進んでいきました。 なんというか、強制される感じが全くなかったんですよね〜。 それがとても良かった(^o^) ------------------------ 脳は、 気持ちよいことを・満たされることを求めるように出来ている。 そういう機能のもの。 だが、根本的には"満たす"ことなど出来ない。 満たされてもそれは一瞬、次の瞬間には苦がくる。 どんなに好きなもの、熱中するものがあっても、ずっと同じテンションで好きでは居られない。 飽きる時が必ずくる。 好き、飽き、好きと繰り返す。 うつろいやすいものである。 ------------------------ 自分が 自分の 自分は 自分を 自分に。 強烈な自己中心性 ------------------------ 自分の体が、自分にとっては一番である (体は認識をする装置。これがないと自分が困るのである) 体の状況が、全てに影響する。 なので、自分の体に起っていることで、機嫌や、考え方や、あれこれがいろいろ変ってくる。 他の人の苦しみそのものを認識することはできない。 体は自分の体であって、 他人の体ではない・他人の体にはなれないのだから。 ------------------------ 同じモノを見ても、自分と人は絶対に同じ見え方にならない。 隣に並べばいい? いや、隣にならんだとしても若干位置はずれる。 全く同じに見たいならば、その人の体を乗っ取り、その人の目の位置で見なければならない。 ------------------------ 人は生きるうえで、 友達と、恋人と、すなわち人と わかり合いたい、共感・共有したいという希望を持つが、 同じものを見ても、絶対に同じ見え方が出来ないのと同様、 絶対にわかり合うことは出来ない。 絶対に正解はない。 認識は体に閉じ込められている。 故に絶対に、人と完全にわかり合うことは出来ない。孤独である。 だが、いくら完全にわかり合えないとしても、近似値に近づけることは出来る。 誤解を減らすことは、出来る。 ------------------------ わかり合いたいのに、実際はわかり合えない時間の方が多い。 また、常に気持ちよくなりたいと願うが、実は不快な時間の方が多い。 完璧に欲求していても、絶対できない。 生きている上では、苦痛の時間の方が圧倒的に長いのである。 欲望や執着は強ければ強いほど、 消えるときに激しい断末魔の悲鳴をあげる、苦しみを生む。 ------------------------ 生きるということは、 絶対にクリアできない、イカレたゲーム。 でも、完全にそのゲームから降りることは出来ない。 おりることができないのならば、少しでも苦(苦痛)を減らすようにしていく方がよい。 それには。 追い求めなくなれば、それは欲望ではなくなる。 完璧主義にならない方がよい。 少しだけ力を落とせば、執着が減る、自分の苦痛も減る。 ありのままに受け止める。 そうすれば、余裕が出てきて、 立ち居振る舞いや言葉が、美しくなってくる。 生きていくということは、割に合わないものなのです(苦笑)
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