【前置き】 本来なら、差し障りは無かったはずだったのですが、故あって、地名を伏せさせていただきます。 なので、途中で出てくる会話も、元々は方言ですが、標準語訳しております。 デジカメ画像も、一部、元の色が判らない程度に加工しております。 【前置き終わり】
観光地から、僅かに離れたところにある旅館。 『お客さまの我儘に対応出来ます』ともあったので、予約時に、 「主人が、体質的に受けつけないので、海老はお料理から抜いて戴けますか。それと、なにか鮑のお料理をお願いします」と言っておいた。
途中、道に迷ったが、宿に何度か電話を入れて道を尋ねて漸く辿り着いた。 愛想のいい主が出迎えて、荷物を持ってくれた。 宿帳を書いた後、先にお風呂に入りたい、その後で食事、と頼んだ。 部屋に金庫が無いと言うので、風呂に入る間、フロントに財布等を預けようとしたら、仲居さんが、風呂場は貸切に出来るから、御心配なら持って行ってはどうか、と言う。
脱衣所の壁に、貼り紙。
『夜10時までにお入り下さい。温泉が出なくなります?』
なんで疑問形なんだ、と、疑問に思っていると、和服どころか、思いっ切り普段着姿の中居さんが風呂場から手招きする。 「こんなもんでどうですか。湯加減御覧になって下さい」といわれ、湯船に手を突っ込み、OKを出した。 そして、思い切り普段着の中居さんが言うことには、
「熱かったり、ぬるかったりしたら、調節なさって下さいね」
水道水の出るカランやシャワーはあるが、湯船に注ぐ湯水の蛇口が見当たらない。 何処をいじればいいんだろうと思っていると、仲居さんが浴場の窓を開けた。 正面には、何故か年代物の洗濯機。 洗濯機と壁の間に、身を乗り出して、下を見ると、バルブがふたつ。片方が水、片方がお湯だから、と言う。 素っ裸で、窓開けて、自分でお湯と水が出るバルブを捻れ、と。 つまり、目の前の洗濯機は、目隠しなのか。 まあ、洗濯機の向こうに見えるのは、なんでこんなに高いんだ、と思えるほど高い塀だし、人に見られることは無いんだろうけど。
隣の風呂に行ったと思ったランディが脱衣所にやってきた。
「こっちで一緒に入れると言われたんですが」
仲居さんは、
「はいはい。貸切に出来ますので。どうぞ、中から鍵をかけて下さい」
……鍵ってこれですか?
とりあえず、無いよりマシと鍵をかけ、脱衣所と浴場を隔てる戸は開けっ放しで、財布入りバッグを見えるところに置いた。
狭い家族風呂でも、うちよりは広い。 それに、なにはともあれ、温泉だ。 調節の仕方も教えてもらったことだし、ぬるめ→熱めへと温度を変えてみたりして、ゆっくりと浸かって、上がろうとしたとき。
仲居さんの声。
「あら。今、上がられたみたい」
つづいて、宿の主の陽気な声。
「前通ったら、はぁはぁ言ってんじゃないのか?」
――聞こえるようなところで、客に関する、しかも下世話な噂話を、主自らしてんじゃねぇ! 更に、当然ながら、
言ってねえ!!!!!!
風呂場のすぐ近くがフロントじゃねーか!
そうでなくたって、大体、こんな
「TRICK」に出て来そうな、余りに昭和懐古的な、隣の部屋の物音も筒抜けな旅館で、風呂・飯・睡眠以外のことをする気になるかーーーーー!!!
仲居さんたちには、ぽち袋に入れて、心づけを渡したが、このオッサンには、なにがあっても絶対に渡さないと決意した。 到着から90分で、リピートの可能性はゼロ振り切ってマイナス。 古いとか、判り難い場所にあるとかは、安いので相殺出来るが、そこで働く人間の人格までは無理。
それでもまあ、折角の旅行だ。 気を取り直して海の幸――と、思ったら、いきなり海老が運ばれて来た。
海老抜き、鮑つき、と、あんだけ言っといただろうが!
「あ?海老はいらないって、電話で言って……」
と、眉間に皺寄せて仲居さんに苦情を言いかけたら、ランディに浴衣の袖引っ張って止められた。
「いいじゃん。おまえが喰えば」
「そういう問題じゃない」
「いいじゃねーか。二度と来ねーんだから」
二度と来ねーからこそ、文句が言いたいのだが、ランディは逆であるらしい。 喰ってるうちに、物凄い量の料理が、めちゃくちゃな順番で運ばれて来る。 なんで、デザートの苺が茶碗蒸しより先に出て来るんだ。 刺身は来たが、鮑は無い。 鍋つつきながら、これで鮑が出て来なかったら、ランディがなんと言おうと文句言ってやる、と思っていると、舟盛り登場。
呆然。
鮑もサザエも、ひとり一個ずつ、鯛、鮪他、絶対に二人前じゃないだろう!という量である。 ケチな店なら十人分として出てきてもおかしくない。 上でも書いたが、通常の食事についている刺身は、既に来ている。そして、そっちもかなりの量だ。 大体、刺身というのは、器が上げ底だったり、ツマで多く見せていることが多いのだが…… 減らない。 食べても食べても減らない。
仲居さんがやって来て、
「御飯はどうなさいます?」
「い、今飲んでるので、後で……」
「そうですか。では、フロントまでお電話いただければ、御飯お持ち致します」
これを我々に対する挑戦と看做し、ランディと共に完食。
因みに、刺身は美味、他の料理は並、であった。
食事の後、仲居さんが布団を敷きに来た。
「では、おやすみなさいませ。あ、そうそう。鍵はこちらでございます」
……思春期のガキでも、もうちょっとマシな鍵を要求するんじゃなかろうか。 襖の前に、人が入ってきたら蹴倒すようにタオルハンガーを置き、豆電球つけたまま就寝。
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