基本的に、わたしは日本語は好きである。 が、嫌いな言葉もある。
「癒し」 前に書いた。
「自分探し」 とどまれ。旅に出るなら足許を探してからにしろ。単に旅に出たいなら言い訳せずに行かんかい。
「勝ち組・負け組」 自分で言う奴は、ひとりで勝負ができない奴と看做す。
「遺憾の意」 謝ってるのか、怒ってるのか、誤魔化したいのか、はっきりしろ。
「夢のお手伝いをします」(不動産屋にて) 夢じゃなく、現実の引越先を探しとるのじゃ。 どうでもいいこととも思ってないが、マイホームに過剰な夢など求めておらん。
「どうせ家で遊んでるなら、うちで働きませんか?」(某生命保険会社のセールスレディより) 喧嘩売ってんのか。
いかん。段々私怨に走っている。 いいや、ついでだ。 私怨の極めつけも出しておこう。
「お子さんはまだ?」 余計なお世話だ。
自分自身、人に対して不快な言葉を口にしていることもきっとある。 実際、後で自己嫌悪で真っ暗になるほどの失言もあった。 だから、せめて、言葉というものは重いものだと自覚していたい。
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