アートというものは、凡人には判らないものだと思っていた。
が、美術系の大学に進んだアリアを通じて、この人とか、この人とかと知り合ったり、更に、この人を創作仲間に引き込んだり、必ずしも、判らないものではないのだ、というように考えるようになった。 少なくとも、アートする人たちは、少なくとも、偏屈ではあっても、偏狭ではなかった。 アートする人と知り合ったからといって、アートを判ったわけではないのかもしれないが、つまりは、ド素人が、的外れなことを言ったって、少なくとも、この人たちは、許してくれるだろう、とたかを括ったのであった。
べつにわたしは、アートで商売したいとか、評論家になりたいとかいうのでは無い。 せいぜいがところ、たまーに美術館やデパートの展覧会に足を運んだり、画集や絵葉書を買う程度。 お気楽に、自分の中で、ボキャブラ天国の如く「シブ知8.1」とか「バカパク6.7」とか採点して、後は
好きか、否か かっこいいか、否か 凄いか、否か
というような直感で良し悪しを決めて良いのだ、と思うことにした。
で、その直感で、思った。
これはともかくとして、これは、全部の項目で「否」だ、と。
アートの価値観には、上記のようなものだけでなく、
新しいか、否か
というものあるようだが、これが新しいのは、ウェブサイトやプログラムというものが新しいからだと思う。 と、いうことで、
欲しいか、否か
も、否。 たとえ、数年後、数十年後に、こういうものが、アートの世界で一ジャンルを形成したとしても、ブラクラもどきや、ニュースサイトのHTMLをいじってテキストを消しただけのアートなんぞ、わたしは認めん。
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