日常妄想
外界へ戻る|下層へ転移|上層へ転移
2002年09月30日(月) |
『わたしは、青い幻燈です。』のこと。 |
+タイトル。宮沢賢治の、なんの話のくだりだったか。ふと、思い浮かんでくる言葉。『銀河鉄道の夜』か、中学の教科書に載っていた『やまなし』あたりだったと思うのだけれど。静謐で、美しいイメージ。 (って、やまなしって、賢治でしたっけ…… <急に自信が。)
+またしばらくぶりになってしまっているので、今回はお昼の時間に書いてみたり。このところ、週末になると天気が悪く、どこに出掛けるというわけでもないが、憂鬱な気持ちになる。雨の日には、なんとなく部屋に閉じ込められるような閉塞感があるので、それで出掛けないことについて気が重いのかもしれない。
+日記を書かなかったあいだには、前回の日記の前も含めて、いくつかのイベントがあったので、イベントがあった日の記録ぐらいは忘れないうちに追々書こうと思う。5月の連休あたりの日記は、おなじようなことを言いつつ結局埋めなかったんだけどね(苦笑) 書きたい気持ちがあるときには、気持ちのままに書くに限る。
+幻燈って、確かフィルムに光を当てて鑑賞するやつで、お盆とかの灯篭みたく、絵がくるくる回るやつだと思うのだけれど、わたしの思考もそんな感じではないか、と思った。おなじ絵がずっと回っている。記憶という光を当てて、浮き上がらせる。それを見て思い出す。くるくると、おなじ思考が回る。もっとも、わたしの思考など、青い幻燈などという詩的なものではないのだけども ( ̄▽ ̄) 反芻の繰り返し。新しいものも当然入ってくる。それもひととおり見たあとで反芻する。古いものが捨てられない。磨耗して痛んだものまで、いつまでも持っている。
……て、日記なのコレ? と我ながら(笑)<日記でファイナルアンサー。 なんか、寝不足の頭が、重いような軽いような変な感じだ。重くて軽い。かといって、変にハイになってるわけでなく。結構元気だ。
というところで、仕事を再開します。 わたしも、賢治のように、強く信じることのできるものを持てば、多少は気持ちが変わってくるのかもしれない。かといって、心のよりどころとして宗教に傾倒するのは、わたしは遠慮するけれど(苦笑)
(0930 13:52 UP)
|