2002年11月24日(日) |
日記を消すことを躊躇す。 |
昨日渋谷鍋から帰ってきたら、彼の姉からメールがきていた。
?マークがいっぱいのメールで、 なんでそうなっちゃったの? めぐっちさんは何ていったの? なんで(弟が彼女のもとへ行くことを)止めなかったの?、 いったいいったい何なんだー!で、
ま 無理もないことです。
強がりでも卑屈でもない 私の正直な気持ち、聞いてくれます?
おそらく昨日の私の日記を読んだ人は 怒りの矛先を彼に向けられたのではないでしょうか。 それも 無理ないことです。 ところが、 私は怒りの感情が湧いてこないのです。 どうぞ あなたもおおさめくださいな。
諦めとか相手への無関心とか 愛がなくなったから とかではないのです。
浮んでくるフレーズは「彼をゆるす」です。 そりゃ、夫婦ですから 悲しくないわけないし、 感情がざわっと波が立ちもします。 でも 恨みも怒りもない、自分でも不思議なくらいないのです。
例えば、自分のすごく大切な人(伴侶や子供)が 人をあやめたりというような犯罪を犯したとしても、 そこでその人を憎むよりも先に 「何がそうさせたんだろう」 とか したことは悪くでも、最後まで味方でいよう とかいう気持ち。
偽善者ぽいですか。ぽいですよね。 私も今書いてて思いますもん(笑)
何故ゆるすのか。
わかりません。 おそらく わたしは彼をゆるしたと同時に 自分をゆるしたのです。
人への怒りとはとどのつまり自分への怒り。
だから私は今までのたうちまわったような感情から もう解放されたわけです。
何を言ってるかわかんないでしょう? わたしもよくわかりません(笑)
ただひとつ自分にひっかかったのは、この日記の存在です。 書く事、晒す事は 「彼ってひどいでしょう? ほら ほら ねえ? わたしってかわいそうでしょう?ね?ね?かわいそうでしょう?」 って言ってるんじゃないかと 自問自答してきました。
でも感覚的に、晒す=相手への批判や自己愛ではないのです。 (ずいぶん以前、無意識にそれをしたことがあるので、 今そうでないのは 感覚として感じるのです)
考えたところ むしろその反対で 自己愛が持てないことへの自虐というか。
なので、もしそうなら日記を消すべきだ と ここを存続することは いつまでも自分で自分を愛せないこと。 それを引きずってはイケン!と思いました。
ところが、一昨日彼の電話以来 自分の中で静かな気持ちでいることは 不思議な現象で、 彼を受け入れてしまった私はとうとう自分自身を受け入れた そう思いました。実は3粒ほど嬉し泣きをしたほどなのです。
なので、ここは私の軌跡であるので 消すことを躊躇して 結果今も残っているわけです。
んで、先述の義姉からのメールに
はぁ〜?!
という文面がありました。
「めぐっちさんも他に男性がいるって聞きましたが本当ですか?」
「本当なら なぜそれを(弟に)言うのですか?」
「その人と朝まで帰らないって本当ですか?
わ わ わたしそんな風に思われてたんすかー!! つーか、そんなことカバ言ってたんすかー!! 一切私にはそんなこと言ったことないのに!!
笑ってしまいました。
確かに、 「そんなに私を放ったらかしにして 他の男に走っても知らんぞ」と 冗談めかして脅したことはあるし、
男友達と食事したり 相談のってもらったりしたことはあったけど 特定な人と何度も会ったりはないし、
朝まで飲んでたのは ここ数ヶ月でオフ会以外まったくないし。
それがいつのまにか 彼の中では私は他の男性のもとに走り、 なんと実家の人間には 「その人とめぐっちが幸せになればいい」 なんて言ってるというのでし。
もー もー もー
あたしたち いったい何やってんだ。 自分たちの気持ちや疑いも全く確かめもせず 相手に伝えもせず それぞれで苦しんでないか? しかも、それをお互い実家の姉に言っても 本人同士で会話してないって・・・・。
掛け違ったボタンをもどすには 一度全部はずさないと。
とかなんとか目口野郎 強がってーとか思われてる? ふふ。いーの いーの、それがあたしなの(^^)
昨日の鍋は 途中でウーロン茶なんて飲んでたり 2次会ではじけきれなかったり、 笑顔に無理があったりしたのは、 単に三日酔いだったからです。 あぁくやしい。 でも楽しかった♪
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