世の奥様たちは、「夕飯のメニューを考えるのが面倒」 という台詞をたびたび吐かれる。
スーパーで「あぁ もう今日は何にしようかしらね」 なんて顎に手をあてて クンと曲げた腕には買い物カゴ 片手にはお財布(鈴つき)、三つ折りソックスにつっかけという 今はそんな主婦おらへんやろぉ というモンギリステレオタイプは 映像ですぐ頭に浮かぶ。
わが母も 夕方5時頃になるといつもそんなことを言ってた気がする。 わたしは 考えるのが面倒なら 料理本でも料理番組でも チロと見ればいいではないか と 不思議に思っていた。
スーパーに行けば、その時の特売品が赤々と目立つように仕組まれてるし 否が応でも売ってるもの以外は調理できひんねんから 何を悩むことがありましょうか。
そう思っていた。
そして、私は悟った。 自分が作る側になり一年経ってやっと気付いた。
「夕飯のメニューを考えるのが面倒」ではないのだ。 それは言い訳。 なかなか支度に腰を上げぬ自分への正当化独り言。
実は「夕飯が面倒」なのだ。
作るのも食べるのも洗うのもしまうのも ぜーンブ面倒なのだ。
一週間の半分は1人で夕飯を食べねばならぬ生活となり、 最初こそ 残りものとかで簡単な食事をしていた お茶碗にご飯をよそい、お椀に味噌汁。 小鉢に 漬物に ちゃっちゃと炒めたメイン。
ところが、食べ終わり食器が複数あるのが不服になってきた。
そして洗い物削減(台所リストラ計画)により ワンデッシュプレート化。 おお まるで代官山のカフェ。一応、ホワイトの大皿なんぞ使う。 ただ 皿の上は いかなごの佃煮やタクアンや ウインナに ひじきという 大衆系。
そのうち皿も粗品のイラスト付きの9インチプレートに変更。
我が家は、ぽてち類のお菓子は買わないし、 デザートは 果物かたまに作る手作りのお菓子。
きょうびのわかいもんが、夕食はジャンクフード一袋とか コンビニおにぎり一個だけなんてきくと 絶対我が家にはありえない事、と決めてかかっていた。
と こ ろ が。
そんな日々は シロアリに侵食された縁の下のように 徐々に徐々に侵されている。 もう台所で火をつかうことすら面倒。
昨夜のわたしの夕飯 「リッツとベビースターラーメン激辛味」 まいうー。
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