雑記

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2004年12月29日(水) 多分2年ぶり

iBookももうないもんで寄生虫あいや誤変換もたまには功を奏する帰省中はほぼオフラインな感じだった。

咄嗟に普通で大阪を目指したのは実は咄嗟じゃなくて金がギリギリだったからで、実際もうすでに残り500円も持っていない。コミケ前だから下りは一人なら座れる。まあ通路まで一杯だしなんか横にジャージデブ二人がずっとごそごそ朝まで(略

どうにもならなくなりつつあるのもいい加減最期に向かいつつあるのはいつもいつもそう思ってるのでもう楽になるような話もするつもりでいろいろ大事なことは抜け気味に眠れずに電車乗ってた。途中で何回か吐いた。久しぶりに豊橋で降りてうろうろして少し気分が良くなったのでもうここで降りてしまおうかとも思った。けど列車に戻った。

大垣着、人の流れに任せて網干行きの普通には乗ったが米原で乗り換える元気はないのでそのまま大阪。手持ちギリギリでなんとか実家まで着いた。

怖いくらい申し訳ないくらい家は静かで普通だった。当たり前なのかもな。ばあちゃんはますます弱ってるみたいだったが、元々頭のいい人なのでボケたふりも多いとは思う。

家でなんか余ってるノートPCねえ?って言ってみたら95のノートが出てきた。うちのお父ちゃんは、と言うかワタシが幼少の頃から俺のPC関連のヲタ関連&物欲魂は今思えば彼の影響だとは思うが、スペックに関して今の使い方に不満がなければこれで十分やん?なんて言いながらも、例えば今で言えば決して贅沢ではないはずの2GオーバーなCPUには手を出さないナイスな親父で、っても各部屋に配置された中途半端古めスペックの各マシンには型落ちのレーザープリンタやらMOやらなんやらかんやらいろいろとうわあ金あるんだしもうちっと他にとかていうか俺もこうするだろうなあ、とかだけ少し思った。
SHARPの2年前までなら猛烈に極限にこの上なく欲しかったナイスなサブノートは諦めた。HDD8G制約と無印Pentiumと何よりメモリが64MBどころかそういうスペックの、その。
親が自分の意識と近い、こりゃ自慢だぞ。

父が休みなこともあって、ちゃんとメシ時にはみんなが食卓を囲む幸せ。


次郎吉 |MAILHomePage