潔 ノ 森

2006年07月14日(金)


グラジオラス園芸種





■ 覚書
(緑環境と植生学 鎮守の森を地球の森に 宮脇 昭 著 第二章 世界と日本の植生を比べる より)

二 日本列島の自然とヨーロッパの自然

 今日われわれがスペインなどで現地植生調査をすると、階段状のテラスの斜面にだけわずかに低木樹林が残り、ヒツジ、とくにヤギの放牧などが行われているが、遠くから見れば、ちょうど日本で最近好んで作られている、芝生に単木がまばらに植えられている都市公園のように見える。それを彼らは公園景観と呼んでいる。「公園景観」とは、家畜の過放牧、火入れなどにより、森が破壊された荒野状態に付けられた名であることは、ヨーロッパではよく知られている。一方わが国では明治以降、芝生公園が導入されるまでは、鎮守の森に囲まれた境内などを憩いの場、お祭り広場として使ってきた。

 日本ではかつて天領や、群雄割拠していた各地方の大名たちがもっていた樹林を借景にしていた町人たちが、自分の身近に緑がほしいために、その領地から小さなケヤキやツバキ、マツなどを持ち帰った。しかしあまり大きくなると目立つので、いかに大きくしないで長持ちさせようかと腐心した。これが、ある面では日本文化の一つとして世界的に評価されている盆栽、庭園(箱庭)手法である。このような盆栽、庭園的な細かい緑、緑地は、周りに借景として見事な森があるときには素晴らしい文化であり、私たちの生活をとりまく自然を濃縮した一つの形として、精神的にも楽しませてくれる。
 しかし、現在のように周囲がいわゆる都市砂漠、産業砂漠化している大都市周辺で、今最も重要なことは、盆栽的手法にこだわり、単に美化運動の延長としていわゆる飾りだけの緑化を行ったり芝生公園をつくることだけではあるまい。

 有機物は一度燃焼したら空気に還元されてしまい、それをつくるのはまだ人間の科学技術では不可能であるため、ドイツの各州では条例などによって落葉、枯れ草などの有機物を焼却するのを禁じている。
 事実、生きている緑の植物が、太陽の光エネルギーを受け、光合成によって時間をかけてつくる以外には、十分に有機物をつくる手段はない。このかけがえのない地球資源の有機物が、十把一絡げの対応によって、いわゆる産業廃棄物として簡単に焼却されている日本の現状は、われわれ生態学者の努力も足りないが、日本の行政や法律づくりの無知を世界にさらしているといえる。


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