■ 覚書 (植物と人間 生物社会のバランス 宮脇 昭 著 �擬�然とは何か より)
1、植物と人間の戦い
生物社会の危機
生物社会の最大の危機は、路傍の雑草群落でもバッタやノネズミの集団でも、かれらのもっとも生活しやすい環境条件が形成され、ある期間持続している間に、爆発的に個体数が増加してしまい、その集団あるいは社会が絶対的に優占し、発達しすぎたときである。植物社会ではそのような場合、その群落がつくりだした新しい植物環境に適応しきれないで他の群落におきかえられてしまう(遷移の項参照)。しかし、「人間は動物とは別である。思考力があり、器具を考案し、使うことができる。まして、ものも言わない植物などと比較するのは、まことに失礼な発想だ」と怒り、反論できる間はまだよい。そういう人たちはかれらの祖先が食べ残した生存の基盤――緑の自然――の遺産の上に何とか当分生きてゆける人たちである。
2、自然と人間か、自然の中の人間か
人間が生きのびるための自然保護
では何のために自然保護が最近叫ばれているのだろうか。この自然保護提唱者の中にも、自然の構成要員である人間の多様性が自由に表現されていて面白い。様々な思想や立場の人たちが、いろいろな体験や観点から自然保護や動物愛護をとなえている。花が美しいから、鳥が可愛いから、裏山がけずられるから、海岸や湖が埋め立てられるから等々、そのよびかけの直接の原因はまったく多様である。しかし、かれらが意識するしないにかかわらず、かれらの叫びの底流には、生物としての生活の基盤が失われていくことに対する生きものとしての本能的な危機感が流れている。 およそロマンチックな自然の愛護などにまったく無縁な私までが、あえてこの問題に警鐘を鳴らすのも、現代の人間の生活域の最低限の自然の確保は、もはや花のためでも、鳥のためでもなく、まさにわれわれ人間が何とか破滅しないでよりよく生きのびてゆくのに必要なためである。ささやかな生態学、植物社会学という専門分野のせまい研究をとおして、生物のそして人間とその自然環境との多様なかかわりあいから、人類の将来が一般の人たちより幾分早く予見できるからにすぎない。
3、生物圏――その量と役割――
生物圏の中の人間
「人類のもっとも愚かなことは、自然や生活環境を破壊して衰退し、滅亡した他の民族の過ちや失敗の例を決して学ぼうとはしない。自分たちも悲劇の奈落に陥るまではおなじ失敗を何回も繰り返す」(デモル・1960)。
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