日記でもなく、手紙でもなく
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2002年07月03日(水) 福岡行き

 来週末、ほぼ一年ぶりで、福岡へ行くことにする。
 午前〜午後の予定は既に決まっているのだが、土曜日夕方の時間はまだ空いているので、以前東京にも住んでいて、顔を合わせたことのある高校時代同期の友人に、打診のメールを入れておくことにした。

 彼のほうが都合がつかないようなら、少し前に顔を合わせている、小学5年〜中学1年の時の友人M君のほうにでも打診を入れ、担任の先生を担ぎ出して集まる会を急遽やる、ということをまた考えることにはなりそうだ。
 
 西鉄沿線の駅前で、お父さんを継いで小児科をやっているのだが、彼の場合私の思い込みから、一度会い損ねてしまったことがある。

 高校時代、一度だけぶらっと福岡へ遊びに行った折、彼の家にも寄ったことがあったのだが、それ以来ずっとご無沙汰していた。
 たまたま、6〜7年ほど前になるが、仕事で福岡へ行った折、一日有給休暇にして、昔住んでいたところまで行ったことがある。
 
 その病院の前を通りかかって、玄関のブザーを押そうと思って、表札をみたら、その友人の名前ではない。
 てっきりもうその病院を継いでいると思って、友人の名前を看板などに探してみたものの、名前が違うのだ。
 これは、ひょっとしたらひょっとして、継いでいないのかもしれないなどと考えて、ブザーを押さずに引き返してしまったことがあった。

 我々2人の担任だったK先生に電話をして、彼のことを一番に尋ねてみたら、何の事はない、やはりその小児科・内科を継いで、あの場所にいるということだった。ご両親はご健在で、玄関の表札はお父さんの名前がそのままになっているという。
 本人からしてみるとしごくあたり前のことに違いない。しかし、かなり長いブランクのある私には、その友人が継いでいるはずだから、その友人の名前が看板かどこかに書かれていてもいいはずだと思ってしまっていた。

 看板に表示された病院長名の父上は、先年尋ねた折はご健在で、ご挨拶した時には大変元気そうだった。通っていた小学校の校医をされていたことも、よく記憶に残っている。

 ブランクが長すぎると、勝手にその人のストーリーを想像して判断してしまったりする。このときばかりは、やや早計だったなぁと今でも考えたり。

 昨年末、彼から喪中はがきが届いていた。不思議なことに、彼も私も同じ年に父が亡くなったことを、その時知った。


riviera70fm |MAIL