2003年10月28日(火) |
家庭不和の原因に為り得る |
民主主義とは民衆参加の政治制度の意味であり 他より多少はましであろうという消極的選択に過ぎない 多数決を以って全体の意志とする ここに「話し合い」という微温的な行為は含まれてない 勿論意見を交換させ議論を戦わせてその後の多数決であるから その間の話し合いは当然であるが最終的には多数派が全体を 支配するのであって話し合った結果少数派の勝利とはならない 若しそんな事が行われればそれは多数決の否定に繋がる この意味で「話し合い」は民主主義に取り入れられているが その主たる構成要素ではない 従って 民主主義の名の下に話し合いを要求する という考え方は 矛盾を生む この様に考えると家庭という社会の最小単位にまで 民主主義を持ち込む行為は家庭不和の原因となる可能性すらある いや、実際これは多くの争議の元になっているのである 家庭内で意見を統一する必要が生じた場合 諸問題に応じて家族が離合集散して何とか多数派になろうと 画策する事が果たして素晴らしき事であろうか 多少の矛盾や強制があったとしても 正に話し合いで 場合に依っては少数派の勝利を認める 意見の統一を図るという微温的な部分を残して置かなければ 決して家庭の暖かさや家族の自然な情愛など生まれてこないであろう この様に「民主主義」と「話し合い」の関係は直接的でなく 寧ろ一般的な意味では「話し合い」は多数決の否定に繋がり それは直ちに民主主義の根幹の否定にも繋がる事から 実は両者は根本的な対立関係にあると云えよう 従って 民主主義を唱え「多数決にすべてを託す」と宣する為には それ相当の覚悟が必要である 以上述べたように民主主義を生の形で子供に教える事は問題が 多過ぎる 論理と多数決を中心に議論を展開し議を決する手法は 確かに重要であるが多くの子供はその余りにも冷酷な結果に 面従腹背するであろう 自分にとって如何に不利な結果と雖も 甘んじて議決に殉じる などという態度はそう易々と 身につくものではないのである 眠くないか カラジ はい 眠くないです
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