子供とは如何なる存在か 何回かに分けて登録になる カラジは異論が有りそうだが最後まで聞くように。それでは始める 人皆すべて経験済みである「子供」に関する最も幼稚な思いが 無邪気な子供と言う表現を多用する子供天使論である 子供は本当にそんなに美しいであろうか 小学校はおろか幼稚園ですらそこは生存競争の修羅場以外の何物でも ない戦場である。そこには大人顔負けの邪気が充ちている 優越感・劣等感・虚栄心・嫉妬・激しい自己顕示・嘘・謀略・おもねり等々 書き出したら切りがない 一体彼等の何処に邪気が無いのだろう 子供の持つ斯くの如き特徴を自ら省みて尚否定するほうがこれがまた 信じられないくらいの多数派なのである これが不思議でなくて何であろう 子供は無邪気でなく有邪気なのである この様な子供の持つ正に悪魔の如き自己本位な考え方を正してよく自己を 抑制出来る大人へ成長させる為の周囲の助力を教育といい最低限の事を 躾と言っているのである それは極めて単純な生物学的理由 子供は他の大人の関心を集めなければ 自立して衣食住し得る存在ではない点にある 幼児の自己防衛本能は 大人におもねる事から始まる腹が減っては泣き大小便の為に泣き 絶えず自己主張を繰り返す行為でのみ彼らは生存に必要な最低条件を 確保するのである 人の精神の裏側に潜む暗黒を一切省みることなく 純真な子供と言った言辞を弄び表面を繕う すべての過ちはここに始まるといって過言ではない 人は天使でも悪魔でもない人間は単に人間に過ぎない この点に関して大人であろうと子供であろうと 変わろう筈がないのである
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