何もかも何もかも、色あせて見えてしまう時があります
私の体は希望を持つと
自分の足をすくうのです。
もうずっと前から、
このパターンと付き合って来たはずなのに 分かりきっていたはずなのに ついつい、希望をもってしまいます。
そしてその分、
ころがり落ちた時の衝撃に がっくりするのです。
ころがり落ちたのも みっともなく転んだのも 痛いのも 失望も
みんな自分が抱いた希望のせいなんだってそんなの分かるけど。
ふつうになりたい
白菜もキャベツも一緒に運びたい、 夕方の混んだスーパーに行って お買い得だよ〜の声を目指して 人をかきわけて進んでみたい 信号がチカチカになったら小走りで渡りきってみたい 家族全部のフトンを一人で干してみたい フロのタイルをごしごしこすって
そんな事をしてもどこも痛くなくて ふうっと一息、って コーヒーをいれる人になってみたい
というのは分不相応なのだと
またしても突きつけられたのでした。
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