東行庵の軒下で

2002年02月03日(日) (続き)

続いて、長府・功山寺へ。

元治元年12月15日。功山寺決起。幕府の言うことをおとなしく聞いておこうといった「俗論派」2000人を倒そうと、晋作が80人足らずの兵を挙げたところ。
功山寺に潜伏していた公家・三条実美卿に「これより長州男児の肝っ玉をお目にかけます!」と、それだけを言った。すると、実美は大きくうなずき、酒を振舞った。晋作の率いた兵は私兵ではなく、義兵となったのである。

功山寺の山門までの急な坂道を、馬に乗ったまま一気に駆け上がったという話があるが、その坂道に差し掛かる前に、刀傷が幾つも残っている小さい門がある。そこで頭をぶつけなかったのか?

そんなことを気にしてたら、「馬上の晋作」像に、またまた睨まれちゃうよな。

長府では、城下町歩きツアーというのがあって、観光地としてしっかり整備されている。長府観光お土産センターなるものまでしっかりあるのだ。
しっかり探検。しっかり試食。

ふくシリーズ、乃木希典(乃木将軍)シリーズ、忌宮神社、明治維新・・

ここでも、ウメ味は根強く、梅ウイロウなどを試食。

なんだかんだいっても、梅って美味しいじゃん!などと、ちょっとだけ晋作サマに近づけた、そんなオメデタイ気持ちと、口に残る梅の香りをを抱えて帰宅した。







夕飯のおかずは、冷凍モノの「ウナギの蒲焼」だった・・・・・。
母上。あなた、もしかして新撰組???


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