坂崎さんと、飼い主の身勝手で放り出されたネコ達の本「ネコロジー」を読んでいる。 不幸な野良猫をこれ以上増やさないために、坂崎さんと秘密組織のおばさまたちが、ノラに避妊の手術を施し、そのネコが天寿を全うするまでえさを与えてノラを一代限りで終わらせる・・里親もさがす。病気のネコは自分で飼う。最後の最後の瞬間まで・・・ 芸能人・・と呼ばれてしまうこの国で、芸能人の出す本は数知れず。だけど、こんなに普通の文章(けなしてるんじゃないよ!幸ちゃん大好き!!)ということは、ゴーストライターがいないってことでしょ?(幸ちゃん、ちかっぱい好き!!) 「アルフィーの坂崎さん」じゃなくて、「ノラネコを飼っている飼い主・47才・男性」が書いた本に仕上がってる。
そのなかに、病気で死んでしまったネコのことが書いてあった。病院に入院させたその晩、すぐに息を引き取ってしまい、坂崎さんは「仲間も誰もいないところでたった一人で逝かせてしまった・・」とめちゃくちゃ後悔しているのだ。
つい何日か前に、これと似た経験をしていた。 路上にスズメがうずくまっていた。こりゃぁ車に激突したかなぁ・・と思ってみていると、そのスズメはパチクリと瞬きをしたのだ。生きている。でも片翼と片足は完全に折れている。じきに死んでしまう。
こんな、味気ないアスファルトの上で死なせるのは、非常に忍びなかった。両手でスズメを抱えあげて、手のひらで包み込むようにして帰路についた。この間に息を引き取ったとしても、アスファルトの上で、迫り来る車のタイヤに命をさらして最後の時を待つより、少しは良いだろう・・人間の自己満足だけど。 ところが、歩調の揺れが心地いいのか、いつしかスズメはウツラウツラしていた。大丈夫かもしれない・・鳥は外傷には強い、と前回の、伝書鳩事件のときに獣医サンが言っていたのを、思い出していた。
次の日、スズメ=ヘースケは生きていた。外でスズメの声がすると、盛んに羽をばたつかせていたが、折れた右側の羽は動かなかった。右足は変な方向に曲がっていて、ブラブラしていた。どちらにせよ、医者に診せないと、骨折した先のほうに栄養が行かなかった場合、肉や組織が腐るだけでなく、腐らせる菌が体全体に回ってしまうことがあるのだ。 いつ死んでも覚悟はできてる・・は、なんとかして生かしてやりたいに変わっていた。
夕方、母と二人がかりで、練りエサをどうにか食べさせようと、悪戦苦闘。ヘースケは、餌ではなく私たち二人の手を凄いチカラでついばみ、えさを豪快にぶっ飛ばしながらなんとか食べていた。「なんとか食べてくれた〜あたしゃ〜明日からどうしようと思ったんやけど、とりあえず、これが食べ物って分かってくれたらしいし・・」と、母が言った。そうだ。わたしは、明日から東京へ行く。この時点で、少し母に後ろめたさを感じた。
次の日。東京へ出発する日の朝。ヘースケは冷たくなっていた。 予期してつれて帰ってきたはずなのに、ショックだった。一番のショックは、一人で冷たい路上で逝かせたくない、と思ってつれて帰ってきたのに、私はヘースケの最後の時に、傍にいなかったのだ。ヘースケはやっぱり一人ぼっちで逝ってしまったのだ。 私がいるときにヘースケが死ぬ、なんて、そんなのは人間の勝手な思い上がりだった。ヘースケが死ぬ時に、私が居る為には、片時も目を離すべきではなかったのだ。鳥かごの中には、いつも「死」が入っていたのだから。
ヘースケは、バラの植え込みの下に埋葬された。「ここには、ずっと昔に埋葬したスズメの雛もいるから・・」母の言葉が続く。「アンタもこれで、心置きなく東京に行けるしさ・・」 一瞬でも重荷に思った自分の身勝手さに、怒りと情けなさと、無力さと、ズルさとを感じた。鳥の雛さえ看取ることが出来なかった自分が、看護婦ヅラさげていっぱしの給料とってるのが、たまらなく嫌だ。 涙が出てきた。 友達が迎えにくるのに、こんな顔していては、しかも、出発の朝なんだから、泣くのは後にして・・と決めて、顔を洗った。友達にまで悲しい思いをさせたくなかった。泣き虫の自分にとって、泣くのを我慢するのは、辛かった。でも、そんなことぐらいしか出来なかった。
ごめんね、ヘースケ。今なら、思いっきり泣いてもいい?
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