前にもチラッと書いたケド、ずいぶんと昔に、東行庵に来たことがあったのさ。当時は、明治維新はおろか、高杉晋作サマがどういった人物だったのか、しかもここに墓があることすら知らなかったのだ。
たしか、ここのあとに萩まで足を伸ばしたのだが・・・。知識のないものにとってはただの観光でしかなかった。というか、逢引き・・というか・・。知ったヒトのいない土地で、やっと二人並んで歩けた、そんな旅。当時、あのヒトがどういった思いで、晋作の愛人であった「おうの」が晋作の菩提を弔ったこの場所につれてきたのか、今となっては知るよしもないけど。
パンフレットを見ていたら、「おうの」こと、初代庵主・梅処尼の、お墓のまわりに咲く花「あしび」の花言葉が載っていた。
「二人で旅をしましょう」
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