思い立ったが吉日!時刻表や地図を調べて、行ってきました、東行庵。 小月駅から「秋芳洞」行きのバスの時刻を調べた。30分ほど暇をつぶす。ようやくバスがやってきた。
東行庵(とうぎょうあん)入り口で降りて、炎天下を歩く。だいたい、バス停の「〜前」「〜入り口」なんてものほど当てにならないものはナイ。ここのどこが入り口なんだ!東行庵の「と」の字も見えないジャンか。でもまぁ、時間にすると10分ぐらいなのだが。と〜に〜か〜く〜暑いの何の!こんな道端で立ち止まったら干物になる〜と心配しながら、ただただ砂漠をさまようように歩く。
また、帰りのバス停を必ずチェックするということが、ここでは生死を分ける。まじっす。降りたバス停の道路をはさんで反対側にある・・なんて安易な発想は、ここでは通じない。事実、反対側の道路にバス停は存在しなかった。 東行庵がみえてきた。道路をはさんで土産物屋もみえ、なんとそこにバス停が!庵に行くより先にバス停に走り寄る。晋作殿、スマヌ・・・
小月駅行きは、今から5時間後・・・ あちゃ〜、駅まで帰ることが出来るんだろうか・・一生ここから帰れんのかも・・そしたら、骸はそのままこの東行庵の地に・・などと大それたことを考える。
高杉晋作の墓に手をあわせ、続いて初代庵主「梅処尼」こと「おうの」サンの墓に手を合わせた。東行庵を垣根越しに観て、資料館へ。ここにはアレがあるはず。
「組み立て式の三味線」 実物を見たかったのだ。 この組み立て式の三味線は、十数個に分解できる凄いモノ。
高杉サンは、維新の志士であるとともに、いわゆる風流人でもあった。「詩」「漢詩」「和歌」「都々逸」「俳句」・・酒席で三味線を爪弾き歌う・・。 酒を入れたヒョウタンと、組み立て式の三味線をたずさえて、西へ東へ飛び回っていた・・なんて、なんだかバンドマンみたい。なんという粋な人なんでしょう!!。(つづく)
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