おおみち礼治のてくてく日記
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2012年07月12日(木) いじめ

 だからさ、いじめはなくならない。取り組むべきところはそこではない。
 学校は、いじめをしてはならぬと抑え込むのが、もっとも簡単だが、それしかできないのがいまの教育の姿なんだろう。
 いじめはある。
 その後のフォローというか、ケアというか、対応がキモなのであって、禁止すればいいというものではない。それは教える側の責任回避、あるいは無能の露呈にすぎぬ。知識を頭に詰め込ませるだけで――そんなもん学校なんぞに行かなくても、どこででもできる――人としてどう生きていったらいいのか誰も教えられない。現代教育の成れの果て。

 何かあれば当事者は保身に走り、周りは批判するばかりで、誰も見本(お手本)を見せられない。自分は見本でありうるか、という話しです。
 どうすべきだったのか――それはむろん、それぞれの生徒に、自分のしていること、されていることの意味を理解さすために、その現象と正面から向き合わせることだと思うのだけど、それができる(わかっている)教師、というより大人がいないのではどうしようもない。

 生きにくい世の中じゃが、それでもここにそのように生まれてきた以上、それで生きていかなくてはならぬ。それを回避しようというのではなく、また、してしまうものをしなければいいというものでもない。
 そのことから何を理解するかだ。本質的なところがわかれば、いつまでも同じことを繰り返したりはしない。


おおみち礼治 |MAIL

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