おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
10年したら30万人が自ら命を絶ったことになるわけで、ひとつの都市が丸ごとなくなってしまう。たしかに社会は悪いが、その同じ悪い社会の中で寿命をまっとうする人と、自殺する人がいるのだから、どちらにもそうなった必然的な理由があったことになる。必然に善いも悪いもありませんよ。
なんとなく感じられるのは、社会や家族などから言下に求められ、自分でもそうでなくてはならぬと思い込んでいる「○○であれ」という要求に応えられない「ダメな自分」が問題なのではなく、そうでなくてはならないという「思い込み・固定概念」が問題だということだ。 思い込みにどっぷり浸かっているため、どう思い込んでいるのかすら気が付かず、その思い込みがどんなに自分を身動きできなくし、息(生き)苦しくしているのかもわからず、もがき続ける。 だから、その思い込み、固定概念をはずすことこそ急務であって、思い込みを実現しようなどと頑張ってはいけない。それはさんざんやってきたはずだ。 以前、偶然、聞いていたなにかのラジオ番組で、「あなたにとって大事なものはなんですか?」という質問に、リスナーたちから、家族、恋人、夢、礼儀といったものから、車、ケータイ、お金まで、さまざまな回答があった。 私が即座に思ったのは「命」だった。聞いていたかぎりでは誰もいわなかったのが不思議だ。私は病気してますからね。長く生きられないのは分かっているから、ときどき、今日も生きていたかと自然に手が合わさることがあります。普通の人は、あるのが当たり前すぎて思い浮かばないんでしょうかね、命。 わしなんか、なんもできませんぜ、旦那。 こうでなくてはならないことなどない。だからといって、投げやりにどうでもいいというのではなく、思い込みをうち捨てた上で、真に己が快適であるかどうかが大事だ。それにはやりたい放題ではダメで、自分をコントロールする必要がある。 というわけで、ええやん、そんなもの(固定概念)。 生きているんやから。
おおみち礼治
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