おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
ガンを患っているとある作家の小説の後書きに、「お元気そうですね」といわれると、意外と大したことがないんじゃないの、といわれているようで複雑な気持ちになる、とあった。
わからないではないけれど、これはご自身の中にそういうものがあるのであって、言った人がどうのではない。わかってもらいたいという、無理難題を相手に押しつけているように思われた。 私はとうに諦めた。 わかってもらえることはない。全く期待などしておらぬ。透析を導入して15年になるが、わかってくれる人に出会ったことなど一度もない。30年も透析患者を見続けてきた看護師さんがいるけれども、そういう人でもわからないのだから、元気はつらつで他人事な人間に、わかるわけがない。 唯一、同じ経験をした人が想像できるだけである。 わかるのではない。 私の場合は、だから、かどうかわからないが、「お元気そうですね」といわれれば、わかるはずもないというベースの上で、素直に嬉しく思う。この人(というのはすべての人という意味だが)は、わからないが、実際の体調はどうあれ、元気そうに見えるのなら、意外とオレは元気なのかもしれない、とポジティブに思える。 わかってもらおうとしてもつらいだけだ。 そんなことはあり得ないのだから。 わかってもらおうとするのではなく、どうしてそうなったのか、自分の原因をわかることこそが、次につながる重要な事柄でありましょう。
おおみち礼治
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