おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
唐突に、何の前触れもなく、こういうものができるわけではなく、要求があったわけだ。誰からというのでなく、時代の要求として。
捨てられるよりマシ…という意見もあるけど、これって捨てるためのボックスですよね。確かに道路に捨てられるよりマシかもしれないけど、捨てるならここですよ、って明示したわけだ。どのような事情か、せっかく宿った命を堕胎するにはしのびなく、かといって、育てることができず、やむなくでありましょうが、捨てるというか、置き去りにするなら、産院、となるのかもしれません。それなら、なんとか面倒を見てもらえるのではないか、という期待を込めてのことで、おそらく(産院の玄関先に置き去りにされるなどのことが)これまでもあったのでしょう。 > 「利用されないことが一番。まずは相談してほしい」と病院では話しています。 相談できない、つまり親が身元をあかして、あかさずとも顔を見せて相談する、というようなことができない、せっぱつまってのことでしょうし、赤ちゃんを捨てる――養育義務を放棄するなんて、ふつうの感覚からいえば、罪悪感にさいなまれることになるのは確実だし、恥でもあるし「赤ちゃん育てられないんですけどどうすればいいでしょう」なんていったら、それこそ即、警察を呼ばれるのではないか、あきれられるか、怒鳴られるか、そんなことはないと思っても、恐ろしいことであるから、相談して、といっても難しい。 難しいかもしれないけれどもそこを何とか、といいたくなるところだが、それが無理だから、赤ちゃんポストなるものができることになったのでしょう。 そう考えてくると、是非の判断はそれぞれあれど、「赤ちゃんポスト」の設置は、仕方がない、ということになるのかもしれない。しかし、問題は、「匿名である」というところにあるのではないか。何もわからないうちに養父母となった人を、まさに自分の親であると疑うことなく育ち…それはいいが、いつかは生みの親ではないことに気がつく時がくる。そのとき、まったく捜す手だてがない、となると、そうとうこれは不安ですよ。 住民票を添付してもらうとかして、それは子どもからの要求がない限り公開されないとか、また親の希望もあっていいけど、せめてそのようにしてはどうかなあ、と思いました。
おおみち礼治
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