おおみち礼治のてくてく日記
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2004年01月27日(火) ●隊長●世界の基本は自分

●隊長
 町内会の青年団で隊長を決めるという段取りがあり――働き始めてから35歳までは、強制的に青年団員ということになるのだけれども、実は私は入っていない。
 学校を卒業し、就職してから透析を始めるまでの数年は活動していた。年末に、真っ赤に塗られた軽トラに乗り込んで、取り付けられた拡声器に「火のよーじん」などと言って町内を回ったりとかね。
 だが、透析を始めて、肉体的にも精神的にもそれどころではなくなってしまい、その時から私の代わりに弟が出ている。いまはだいぶ落ち着いて、決して活動に無理があるわけではないが、なんとなくそのままになってしまっている。
 いや、すまんすまん。
 で、まあ、私の代わりだから青年団で弟は35歳扱いになっているわけで、来年度の隊長をその35歳組から出さなくてはならない。その集まりが先日あったらしい。
 そこで、みんなウダウダ言ったらしいのだな。やりたくないから、仕事が忙しいとかなんとか。みんな働いているのだし、条件は同じはずなんだけどね。で、あんまり、ダラダラ言っているんで、弟が切れて「おまえら、そんなにやりたくないなら、オレがやってやる!」と怒鳴って書類をたたきつけて帰ってきたというのだ。
 真面目なヤツだからねぇ。しかし、ポーカーフェイスの弟が感情をあらわにしてあんなに怒ったのを見たのは始めてかも知れない。よほどひどかったんだろうね。「まったくろくでもないやつらだ」とうなっていた。

 しかし、考え込んでしまったよ。地域社会のつながりなんて、田圃が広がりコンビニがひとつもないような田舎でさえ、その程度なのだ。いかに逃げるか、責任を回避して美味しいところをいただくか、ということしか考えていないのだから情けない。
 弟にそういう態度に出られて、同席した人たちがどう思ったのかは知らない。恥じ入るようならまだいいけれども、隊長が決まって表面的に申し訳ないような顔をしても、内心で舌を出しているのだとしたら哀しいことだ。
 しかし、じゃあ、隊長になった弟の代わりに、もう元気になったから復帰しようとか、そういう気概が自分にあるのかというと、ぜんぜんないので(爆)、同級生たちを責めるわけにもいかない。ただ、なんだか悪い気はする。

 で、何を理解したのか、ということなんだけど、「責任を果たせ」ということだな。私は病気をしたから、働いて結婚して家庭をもち自立していくという、ごく普通の人生を送るのが難しいと思い込んで自ら道を閉ざしていた。だが、病気をしたことを含めて、それで人生完全なのだと分かってからは楽になった。
 また、最近はもう、世俗的なものに迷わされることもあまりなくなった。たとえば、若くして成功し、年に何千万という収入があるセレブなんて人を見ても、何とも思わなくなった。以前なら、なにもない自分と比べて心の奥の方がじんわりと焼けるのが感じられたかも知れない。けど、道を見つけたからね。セレブになるのが自分の道ではないと分かるから、それはそれ、と思うだけで済む。
 自分が何をしていけばいいのか、外のことに影響されることはないという話しだ。すべきことは分かる。

●世界の基本は自分
 都合の悪いことはすべて他人が悪く、自分は被害者であると思い込んで他人を攻撃しだす人が多いような気がする。私に言わせれば、すべての現象は自分が招いているのだが、いまの人は、自分は被害者だとうったえてしまう。
 これはマズイ。
 自分だけでなく世の中を汚す。
 なぜ、自分にそのような現象が訪れたのか理解しようとせず――たとえば引ったくりにあったというなら、その犯人を突き止めて逮捕して罪を科したとしても、そんなものに意味はない。いや、外的には必要かも知れないけどね。本質的な意味はない。鞄をもって人気のない道を歩いている人なんてごまんといるのに、なぜ、自分だったのか、そこを理解しない以上、意味はない。
 そういう理解をしていくと、テレビなんかで様々な問題を抱えている人が、人のせいにして怒ったり泣いたりしているのをみても、被害者への同情も加害者への憤りも何も思わなくなる。その人自身が招いた事だと分かるからだ。こういうとよく勘違いされるから、あわてて付け加えなくてはならないけれども、被害者が100%悪いと突き放しているのではないよ。
 加害者は悪い。たしかに悪い。しかし自分が招いたとするなら、自分を変えることで変わるのだから、光が見えてくる。繰り返すが、同じような環境にある人はごまんといるのに、なぜ、自分なのか?

 いろいろなレベルがあるから一概には言えないけれども、まず自分の近くにいる人、近づいてきた人は自分の鏡であるという気づき。その人をそうさせている、そういうところを引き出してしまっている自分がまずあるのだ。
 たとえば、掲示板に荒らしが現れたとするなら、そういう人を招くような荒いバイブレーションを発していた自分がまずあるのだな。荒らしの張本人を突き止めて、とっちめてやろうなんて、まったく中心がずれている。気持ちは分かるけどね。
 意味はない。
 一生、意味のないことを繰り返していてもしょうがない。だから、自分が荒くしていたな、と分かったら、よくリラックスして必要なら生活を見直し、ストレス発散して気持ちを優しく落ち着かせることにエネルギーを注ぐべきである。
 もちろん、外的に必要な処置はするとしても、事の中心は自分自身がどうか、ということである。それができれば荒らしは消える。やってみればわかる。表面的にではなく、心からできればだよ。

 ある意味、世界は自分が作りだしている。下らない世界というなら――たしかに下らないけれども、自分と自分の周り、手の届く範囲の世界が常に下らないのだとしたら、それは自分が下らないからだという他ない。
 自分が落ち着いていて安心立命なエネルギーを発しているならば、周りもそのような世界が形成されていく。逆に、お前が悪いのだと荒くて不調和なエネルギーを出していれば、当然、周囲もそのようになる。関係ないと思っても世界は繋がっているのだから、個人の有り様は身近な場所でも離れた場所でも良い悪いにかかわらず影響力を持って現象化する。
 世界の基本は自分である。高慢でもなんでもない、人間の基本的な理解のひとつではなかろうか。

 って、我ながらなんかスゲイこと書いてるな。


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