おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
●猫特集
先日、NHKでやっていた猫特集番組の中で、脳出血で右半身のしびれと言語障害が残ったというおばあさんが、ボランティアの人が連れてきた猫に自分の人生のことを話していたらすごくよくなった、とやっていた。 話しを聞いている(?)猫は、相槌をうったり、「それはこうしたらいいのだ。にゃー」とは言わない。(笑) 人間は他人の話しに言い返したりアドバイスしたり、とにかく何か言いたくなってしまうのだけれども、猫はただそこにいただけである。何にもしない猫に話しをしただけで言語障害はなくなり、いまでは裁縫も出来るようになったという事実から何が理解できるか? まず、話しをちゃんと聞いてくれる人がいなかったんですね。話しの内容がどのようなものであっても、判断を下さず、ただ黙って聞いてあげられる人がいなかった。なにも言わなくてもいい――というより、言ってはいけないのだな。 言葉が重要なのではなく、長い人生で溜まっていたいろいろな想いを、やわらかくてあたたかくて、うるさいとも言わない安心して話しのできる猫という媒体を通して吐き出すことができたことが重要なのだ。いま気がついたけど、言霊からいうと「想い」とは「重い」んだな。背中に山のように積みあげられた重たい想いが体に負担を強いていた。その想いを捨てて身軽になれたのなら、良くなって当たり前、か。 ●hello-BJ ある人から「ブラックジャックによろしく」という漫画をすすめられたので、ヤフオクで全冊落札して手に入れた。これを読むと、病院なんて恐くて行けなくなる、というお話しだったのだが――読んでみて、子どもの頃から病院にお世話になってきた経験からいって、まあ、こんなものかなと思っただけだった。主人公の頑張りやドラマには感動したけどね。 そういえばテレビドラマにもなったんだよねぇ。知ってはいたけど、見ていなかったのだ。ビデオになっているなら借りてきてもいいかな。 それはともかく、わしが感じてきたのは、医師はその病気症状を現代医学の枠にはめるだけということだ。もちろん、医師は治そうと努力しているのだが、やっていることは、決まったフローチャートに沿って処置していくだけ。結果、統計通りの確率で治る人は治るし、死ぬ人は死ぬ。 もし、本気で治そうとしているのなら、現代医学以外のあらゆる手段を検討していいはずだが、ほとんど行われない。システムの問題も大いに関係していると思うけどね。 わしは、透析をはじめて10年になるが、いまだに尿が出ていて体重増加もない。肌は黒くなっておらず合併症もない。10年前、一緒に透析をしていた人たちの中で生きているのは、わしと数名の女性だけである。男性はすべて亡くなった。 なぜ、このおおみちだけが生きていて、しかもなんの問題もなく透析が出来ているのか検証しないのだ? 悪くなったら、こういう薬があります、こういう処置が出来ますといわれることはあっても、いまより良くなるために、こういうものがありますよ、といわれたことはない。医師は現代医学的に完治は難しい――不治とされたものに、他の方法を模索検討しようとは思わないようだ。そういう意味で、治そうとしているわけではないといえるし、現代医学がすべてだと思い込んでいることが分かる。安定しているんだからいいじゃないかといわれそうだが、そういう問題ではない。 病院や医師に対して別に不満もなにもない。ただ、そういうものと理解しただけだ。なんというか、一時的な対処が必要な時もあるし、自分の体を知るのにはいいから、そういう意味で病院は利用したらいいと思う。しかし、結局のところ枠にあてはめることしかしない、というより出来ないので、それ以上のことを期待してはいけないと思うのだ。
おおみち礼治
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