おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
●歯の矯正
40歳半ばのとある知り合いに久しぶりにあった。 彼がにぃっと笑うと、歯に針金が巻いてある。歯の矯正をしているという。 危ないなぁ、と思うのですよ。 歯並びも偶然そうなっているわけではなく、そのような歯並びになることで、体は全体のバランスをとっているということがあるので、それを無理矢理、矯正――というか強制的に変えてしまうとバランスが崩れてしまう。すると、体はバランスを取り戻そうと別の所に症状を出して全体を整えようとする。 歯の矯正をしたら目が悪くなったとか、肝臓に症状が出たとか、疲れやすくなったとか、けっこうあるのだけれども、目は眼医者へ、肝臓なら内科へ、と簡単にいってしまい歯の矯正と関連づけられないのだな。 矯正した歯が、すぐに元に戻るのは、体が懸命にバランスを取り戻そうとした証拠であり、よろこぶべきことだが、矯正したままで変わらないようなら危ないのである。 症状は必然である。 人間は、なぜそれが必然なのか理解するだけでいいのだ。それなしに対処療法でごまかすのは本道からずれまくっている。自然、本来、本然ということを考えた方がいいだろう、と思うのだ。 ●文句が多い 自分が発したものは自分に返ってくる。発した(向けた)相手ではなく、ぜんぜん違う人から返ってきたり、時間をおいて――それこそ何年もたったあとに返ってきたりするので、それが自分が発したものだと気が付けないのだな。 これも、危ないなぁ、と思うのだけど……某所の女の子、Rさん。 文句が多いんだよね。 ニュースを見たり他人のすることをみて「気持ちわるーい」だとか「信じられんらぁ」などとよく言っている。この間など、強盗に向かって警官が拳銃を空に向かって発射したというニュースを見て、「そんな悪いことした人(強盗)なんて撃っちゃえばいいのにねぇ」なんて恐ろしいことを平気で言っていた。 理解のある人なら、そんなことは絶対に言わ(想わ)ない。想念を出すのではなく、そのニュースからなにが理解できるかを考える。 Rさんは、ついこの間、後ろから車に追突されたという。信号で止まっていたところにぶつかってきたというのだから、法律の次元では相手が100%悪いのかもしれない。しかし、それとは違った目に見えない精神的というか想念の次元では、法則はたんたんと、発したものを当人に返している。ぶつかってきた車を運転していたおばさんがどうのこうのではなく、まず、普段、人を非難し、想いのレベルでいちいちつっかかっている自分があることに気が付かなくてはいけない。他人にぶつかってばかりいるから、ぶつけられるのだからね。 って、こういう話しをしても、分からない人にはぜんぜん分からないので、あまり言わないんだけど……。 人間はなにをしてもいいが、その責任は自分で受けとらなくてはならない、と言い換えられるかもしれない。人間が作りだしたルールもいいが、それ以前の法則、当たり前のこと、を理解していきたいものであります。
おおみち礼治
|MAIL
|