おおみち礼治のてくてく日記
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2003年07月28日(月) ●官僚の収入●イノシシを飼う人●そろそろどう?

 官僚の収入が多すぎるから――何々手当だとか、基本給以外の収入がやたらと多いとか、退職金をもらって官庁を辞めた後に、天下り先でまた給料をもらい、そこを辞めるときにもまた膨大な退職金をもらってとか――この不況を打開するために、それを削って対策に投じればいいという議論がある。
 だが、官僚たちは、どのように批判、非難されても「それは庶民のやっかみである」として聞く耳を持たないという。
 批判を受け入れたら負け(間違っていたことを認めたということ)だし、自分の仕事を否定されたようで、その上、給与まで減らされたりしたらたまらない。おいしい体制の中、自分の収入を減らすことをまともに議論するとは考えにくい。彼らには耳をふさぐ以外方法がないのかも知れない。
 ……というのもひとつの見方だが、それはともかくとして、官僚にはもっと頑張っていい仕事をしてもらいたい。しかし、給料を減らされたら誰だってやる気をなくしてしまう。
 他人の給料を減らしてやろう、などと中心のずれた、人の足を引っ張るようなことをしなくても、自分がいい仕事をしているのかどうかの方が大切なよーな気がする。
 自分はどうかだ。真に自分に目が向けば、余計なことをしなくて済むようになる。

          ※

 夕方くらいから、地方の情報をローカルで放送している番組ってどこでもあるよね。それでちと小耳にはさんだのだけれど、イノシシをペットとして飼っている人がいて、散歩に連れ出したりしているという。
 大きくなったらどうするんでしょうねー、とアナウンサーが聞いたら、その時は山に返します、という返事だった。
 普通は、イノシシなんて飼って変わってる、でお終いなんだが……山に返すといえば聞こえはいいが、要するに捨ててきますってことだよね。それまで、かわいいかわいいでエサをくれて、ご近所に注目され、テレビにも出ていい気持ちになっているのだとしたらそれはエゴじゃないだろうか。
 最後まで責任を持って飼うことが出来ないのならしないほうがいい。たとえば、大きくなってから動物園に引き取ってもらうにしても、元飼い主が世話をしたりエサ代を出すわけではないのだから、他人に放り投げてしまうのと同じだし、イノシシが芸をするようなテーマパークもあるけど、あれはまだ小さいうちから仕込まないとダメなのだから無理だろう。
 人に育てられ、大きくなってから山に捨てられたイノシシが自分で餌をとって生きていくことが出来るかどうか疑わしい。人里に現れて世間を騒がし、撃ち殺されてしまう可能性だってある。
 そこまで考えて飼っているのかというと……いないだろうなぁ。いつだって、「分からない人」が悲劇を招くのだ。だから、分かっていかなくてはいけない。そうしたらどうなるのか分かろうともせず、また、いざとなったら人任せにして思うように行かないと文句を垂れるのではあまりに情けない。
 自分はどうなのか。自分のしていることがどういう事なのか分かっているかどうか。また、分かろうとしているのかどうか。

          ※

「ねぇねぇ、おおみちくん、そろそろどう?」
「なにがです?」
「結婚」
「ぶ」
「どうなのよ?」
「い、いや相手いないし」
「この前だって、オフ会に東京まで行って来たって言ったじゃん。いい人いないの?」
「知り合いは結構いるんですが、この歳になるとみんな結婚してますし。……バツイチの人はいるけど」
「バツイチじゃダメ?」
「別に気にしませんが」
「あら、子どもがいてもいいの?」
「うーん、でも想像できませんね」
「いろいろ考えなきゃ。ずっとこのまま独身でいいと思っているわけじゃないんでしょ?」
「まあねえ、縁があればとは思いますよ」
「相手が積極的な人で、向こうから来ればいいけどねぇ。この人、って人がいたら勇気を出して声かけないと」

 などと、バツイチの看護婦にからかわれた。
 年齢的には潮時かもとは思うんだけどさぁ。(笑) なんか、そーいうことを意識させられることが多い。


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