おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
<タカラ>猫語翻訳機「ミャウリンガル」発売へ
ちょっと欲しいかも……。ってゆーか、買う。(爆) 外で仕事をバリバリこなして偉くなり、給料も人より多く、家に帰ってくれば妻にも子どもにも優しくて面倒見がいい満点パパ。 いません。 というか、エネルギーの使いどころが仕事なら、前者は可能であろうが、後者がどうしても犠牲になる。前者を実現したければ、後者を犠牲にせざるを得ない。この逆も然り。これは当たり前のことだが、それを理解せず両方求めるとおかしいことになる。どちらか一方をとるか、それともバランスよく(ほどほどに)望むかは自由だ。 陰陽のマークは調和――というか物事の自然なあり方を現している。陽の中にも少しの陰があり、陰の中にも少しの陽がある。夫婦で言うなら、男性を陽とするならば、男は外で働けばいいだけでなく、内側にも少しだけエネルギーを持っていくことで調和できる――それが自然な姿であるから安定すると分かる。 不自然なもの、バランスの悪いものは長続きできない。 女性も外に出て働くのはいいんだが、夫婦とも外(陽)にエネルギーを注ぐばかりで、内(陰)をほうっておいたら、それは不自然な姿であるので――すなわち調和融合できないからそのうち破綻する。仮面夫婦のなんと多いことか。 ある女性タレントが、「わたしは男っぽいから、相手(彼氏)は、もっと男性的な人じゃないとダメ」なんていっていたけれども、それではうまくいかないのは目に見えている。陰陽のバランスがとれてこそ、男女間に調和が生まれるのだから、男っぽい女性なら女っぽい男性を選べばいいのだ。 陰陽あって、ひとつ(完全)なのである。陰陽はその特性を現しているだけであって、善悪や優劣ではない。男の本分は陽であり女は陰である。そういうと、世間には陽は善で陰は悪であるという偏見があるから、特に女性からの反発があるかもしれないが、何度も言うように陰陽は善悪ではない。左右の違いと言えるかもしれない。左手に出来ないことは右手が出来る。右手に出来ないことは左手が出来るのである。 性は、その特性に調和した、本来的な使い方をしてこそ本領が発揮されるのは言うまでもない。本来であれば快適であり、快適であれば本来なのだ。自分の本分を忘れ、つまらぬ既成概念に縛られて無理をすることはない。 重要なのは、他人の目ではなく、一人の人間として自分が快適かどうかだ。男性は硬くて女性は柔らかい。それでいいのだ。両方硬かったらイヤである。
おおみち礼治
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