おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
子どものころはそうではなかった。
授業は面倒で、面白くなく、ただ耐えるだけの時間だったし、低学年のころは弱虫で泣き虫で、毎日いじめられて泣いていたように覚えている。 しかし、それでも夢中だった。 そう、なんだろう? 他に言い表しようがない。夢の中だったんだよね。それはとうに終わった。 多分、つらいことの方が多い。つらいのが当たり前で、気分がいいことは特殊とまでは言わないけれども、珍しいことと思わなくてはやっていられない。本当はそんな風に考えたくないんだけどね。 単純に損得計算をするのなら、やることは決まっている。だが、そう簡単に割り切れるものではない。しがらみが重くて振り払いたくなるのだが、捨てたとしてその後どうすればいいんだろう。しがらみから得られるものは少ないが、しがらみを持ってさえすれば、少しの益(いいこと)が約束されている。 結局、計算している。 捨てられないのは、持っていたいからだ。捨てたいのは重たいからだ。それなら、軽くすればいいのだ。しかし、やることが多すぎて身動きがとれないでいる。おれにできるんだろうか。これでいいんだろうか。いや、人から見たらせこいことなんだけど。 人生が決まっていないのなら、その時の自分の選択が未来を決めることになる。成功すればいいものの、失敗したら自分の選択を後悔することになる。たくさんの選択にすべて正しく応じられるわけがないし、一生、失敗無しの人生なんてものもない。ということは、決まっていないという理解は、必ず後悔を招く。 決まっているのなら、成功するか失敗するか、その時どう悩もうが決定事項である。ならば、未来を案ずる意味がない。後悔もくそもない。だって、そうなることは、決まっていたんだから。 その時、精一杯、自分の出来ることをしていけばいいんで――成功失敗という結果が問題なのではなく、自分のしたことと(決まっていた)結果から学ぶことがあればいい。多分、そこが重要なのだ。 さてさて。 意味わかんなくてゴメン。
おおみち礼治
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