おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
某冊子に掲載された原稿の誤字について、やっと今日手紙ががあり、ポスターくらいの大きさの「誤字のお詫びと訂正」の紙が入っていた。これを配送先すべてに送るという。それと、達筆なお詫びの手紙。
ゆるす。(笑) しかし、でかすぎてちょっと恥ずかしいくらいだ。<お詫びと訂正 人に迷惑をかけてはならない、というのはそうなんだけど、若いころはそれが行き過ぎて他人のために自分を犠牲にしていたところがある。嫌なものを嫌といえず、へらへら笑いながら、人の機嫌をとっていた。 ジコチューも考えものだが、自分を失って人を中心にしたタニンチュー(造語)もおかしい。ジコチューは他人に迷惑だが、タニンチューは自分に迷惑をかけている。これは大変なことだ。一刻も早く自分自身を取り戻さなくては、そのうち倒れてしまう。わしは過去、倒れた。これもまた必然。 もうひとつ、最近は変な人が多いから――つい先日、堺市の病院にクレームを付けに来た男に看護婦さんが殺されてしまった事件があったけれども、ああいう男のような、自分が何をしているのか分からない奴がいっぱいいるので、どんなに自分に正統性があることでも、クレームを付けた途端、逆切れされて揉めたら嫌だな、と考えて、(誤字の指摘を)やめておこうかとも一瞬、思ったのだが言ってよかった。まあ、考えすぎなんだけど。 自分が何をしているのか分からない奴――というのは、自分がそうしていたら、当然そのようになる、という当たり前のことが理解できない人と言い換えてもいいかもしれない。理解できないから、自分のしたことで出た結果が、自分の都合に合わないと他人のせいにして怒り出す。 たとえば(なんでもいいんだけど)野球で、ヒットを打ってわけもわからず三塁ベースに走っていったらアウトになったので、ぶち切れて怒り出す、というようなもの。 ルール――というのは、人間が作り出したルールもそうだが、それより前に、そうなって当たり前という法則がある。引力の法則から、不潔にしていたら異性に嫌われるということまで然り。 レベルの違いはあるにせよ、法則の無理解は誰にでもあることだから、あまり偉そうも言えない。自分の都合に合わないことが起きたら、それは自分のやり方が間違っていたのだ。いや、間違っていたというより、そのような結果が出て当たり前というやり方(生き方)を自分がしていたのだ。もしくは、そうなったからこそよかったのである。 近視眼的な善悪や成功失敗がどうのこうのではなく、それらすべてを包み込んで、それでいい、のですね。
おおみち礼治
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