おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
起きても、気分がすっきりせず、いつまでもぼんやりしている。洗顔したら、気分や体調がどうであろうと、無理にでも、散歩に出たらよくなるのかな。
どんどん動いていける人と一緒にいたら、そういうことはなくなるかもしれない。でも、その人と別れたら出来なくなってしまうのでは意味がない。 なんかね、ほっとかれたら徐々に精神も肉体も衰退して死んでしまうんじゃないか、という気がする。誰かに与えられたものでもいいから、やることがないとダメかもしれない。 自分の人生で、絶対にこれを成し遂げるのだという目標があり、実際に行動している人って、どれくらいいるんだろう。 あなたにはありますか? 別に目標がないからダメなのか、というとそうは思わないけどね。「生きていさえすればいい、他にすることはない」のだ。自由と責任の法則を理解したうえで、自由に、好きに羽ばたけばよろしい。 だが、この気分の悪さ、体調の悪さがあると、何をしてもいいと言われてもなにもできないんだよね。それこそ、寝ているしかない。 ……いや、寝ていればいいのかもしれない。いまは外に向かってエネルギーを出すのではなく、体を回復させることにエネルギーを使いなさい、ということかもしれない。ずーっとそんな状態ではない、と分かってはいても焦って何かしようとしてしまう。歳も歳だし。 だいたい錯綜する思考は、明らかにするという意味で、諦めるほかあるまい、というところに帰着する。つまり、いまはそれでよい――体を回復させることに集中するのだと認める。いまできることをするしかない。いまレベル1でファイアしか使えないのに、1回敵と戦うだけで一気にレベル100になって、メテオやアルテマが使えるようにはならない。 しかし、同じやり方をし続けていてもレベルはあがらないのだよ。自分がどういうやり方をしているのか気が付けないという、いらつきがある。いつまでたっても――何度繰り返しても、自分が出会う現象から「自分の何が」その現象を招いているのか分からず、なんてひどいヤツだと他人を攻撃するか、大人のフリをして憤りを抑え込む。 分かっているのは――他人は関係ない。他人ではない。ある意味、他人は存在していないといってもいい。宇宙には、そうしているからそうなるという法則と、自分が在るだけだ。 なんだかんだいっても、結局「良くなりたい」のだな。だから蠢く。人生70年だか80年、ずーっとそのままでいいと思うなら、こんなことは考えないもんね。
おおみち礼治
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