おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
手間をかけた、自然であるもの、という共通点があるかもしれない。
どちらか一方が抜けても違うことになりそうだ。 手間をかけても不自然では良いものはできない。農薬を毎日何時間もかけて噴霧して出来た作物が、すばらしいだろうか。 自然であっても手間をかけなくては良いものはできない。自然が良いとして、植えたなりで何もしなかったら――自然に任せておいたら最高のものが出来るかというとそうでもない。 なかには、人間が手をかけるのが難しい、特殊な環境で育つものもあるから、すべてにおいて当てはまるわけではないが、一般的な作物においてはそういうことになるだろう。 手間と自然。 たとえば、昆虫なども、原始の自然よりも人里に多くいる。人が手をかけたところにやってくるのだ。しかし、やりすぎてコンクリートジャングルになると――まったくいなくはならないが、少なくなる。ゴキブリやらイエグモやらは増えるかもしれない。 なにもしないのではなにも起きず、発展も見込めないが、やりすぎては離れてしまう。 中心。 手間にせよ自然にせよ、ギターの弦の張り具合のように、ちょうどいい中心というものがある。懸命なのは良いが、中心がずれていたら意味がない。日光に当てるのは良いかもしれないが、作物によっては限度というものがある。まったく当てなかったら、育たない。 以上のことから、素材をいかすミソは、「人間が中心のある手間と自然を行うこと」だと分かる。 まあ、だいたいこんなことばかり考えています。(^^;
おおみち礼治
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