おおみち礼治のてくてく日記
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2002年08月29日(木) 肩こり。

 床屋で、何気なく肩をぐるぐる回したら、おばさんに「なーにー、肩こるのー?」と言われたので、そうなんですよーと、これも何気なく答えた。床屋のおばさんが私の肩に触ると「あら、ほんとガチガチじゃん!」というのです。
 え、と思いましたね。
 自分が肩がこっているなんて、考えたこともありませんでした。で、念入りに肩を揉んだり叩いたりしてもらって寝そうになってしまったのだけれども(笑)、自分の肩がこっていることも気が付かなかったことにショックを受けました。そんなにも自分のことが分かっていなかったのかという……。

 この日記でも他人のことをさんざん馬鹿だアホだ言ってますが(^^;、もうそういうことはやめよう、と決めたところでした。それで気が付いたのですが、いちいち他人の言動やすることを、それはおかしいんじゃないか、馬鹿なんじゃないか、と想念を出していると、驚くくらいに自分のことがおざなりになるのです。
 自分を大事にするとか、自分を中心に物事を考えるとか、そうしたくてそれでいいとして、そうしてい(るつもり)でも、なんとなく不自然さというか、無理がある。頭の中で、あーだこーだと批判が渦巻いていて、そちらにエネルギーを奪われ、自分の扱いが、どうでもいいものになってしまう――自分のためのエネルギー(時間含)が失われてしまう。

 これはね、ホント文句が多い人は気が付いた方がいいですよ。自分のことがおざなりになっている。だから「そうなった」のだから、それまでと同じやり方をしない。高いレベルでやっていく。ただ自分自身(が自然に感じる快適さ)と一致してしく。
 批判することで、自分で自分をおとしめてしまっている。メンタリティの上下というのはある。いくらレベルが低くても、その人は今はそういうレベルなんだから仕方がない。自分もそういうレベルを経て、いまの自分になったのだ。
 批判した方が不自由になるということもありますね。たとえば、その批判が当人の耳に入って、訴えてやる! なんてこともありえます。批判したら、気分が晴れるわけでもなく――むしろくさくさするだけで、(誰に頼まれたわけでもなく、自分で勝手に批判することで)他人のことでエネルギーをとられるなんて、うれしくありません。
 つい、批判したくなることもありますが、すぐに切り替えて、ただ自分と一致していきたい、と思いました。


おおみち礼治 |MAIL

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