おおみち礼治のてくてく日記
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2001年12月22日(土) 動ける時を待つ。

 今日は当たりだった。<お店
 麦ご飯に、自然薯のとろろをぶっかけて、わしわし食べた。
 うまかった。

 自分が中心といいつつ、無意識のうちに他人の思惑を計算して不自由になっているのだな。ってゆーか、そういうときって、自分が不自由していることにも気が付いていない場合が多いんだよ。気が付いたときは、もうそうとう不自由していてにっちもさっちもいかなくなっていたりする。
 自分の都合のいい返事を相手から引き出そうと、計算している節すらある。<おれ それは真剣ではない。
 問題の核心は、自分がどうしたいのか、を実践していないことにある。小手先で何とかしようと動いているときはあるんだけどね。そうではないな。経験的に言って、これは感覚であって、頭脳ではない。頭脳で、自分がどうしたいのか考えても分からない――というより、わけが分からなくなってしまう。自分が、いまトイレに行きたいのかどうかさえ分からなくなるのだ。だから、頭脳ではなく感覚を磨く。その前に、自分の感じる機能を信頼することだね。
 次に、できて当たり前という意識。自分はこうしたいんです、という「そのこと」を、そのまま実践すること。他人の思惑などいちいち気にしない。というか、なにか考えてしまった時点で、もうダメだね。
 考えてしまったら、いったんやめる。やめて、すっと動ける時を待つのがいいみたい。


おおみち礼治 |MAIL

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